みつめる

観たもの、考えたこと、あれこれ

めまぐるしい変化のなかで

あまりにも世の中の空気が変化するスピードが速いので、いろんなことを忘れないように身の回りのことを書き留めておいたほうがいいのかなと思ったりしている。

4/15に予定されていたかが屋の単独ライブは5月末に延期になった。追加公演のために確保していた草月ホールで断行するらしい。北沢タウンホールの倍は入る草月ホールで、1席ずつ間をあけて座席番号が振られた座席表を見て、運営に関わる人たちの想いや本人たちの悔しさを想像してしまう。再来週末(4/18-19)に予定されていたSexy Zoneの仙台公演も中止が決まってしまった。そうなるだろうなとは思っていたけど、1月後半、中国でCOVID-19の感染が広がってきたばかりの頃は、こんなことになるとはよもや考えてもみなかった。

1月下旬、中国での感染が報じられるようになった頃、中国に親戚がいたり友人がいたりするのでそれなりに状況は心配だったけれど、それほど不安にはなっていなかった。基礎疾患がなければ感染しても症状は軽いらしい、というような記事を読んだのもあるかもしれない。2月上旬ぐらいまではそのスタンスだったような気がする。

2月下旬から3月上旬あたりは、韓国での抑え込みに成功しつつあるニュースや欧州での感染が広がってきたニュースを見ながら、徐々に危機感をつのらせていた。自分自身が体調を崩していたからというのもあるけれど、勤務先の上司や同僚と危機意識が全然かみ合わず、感染者が増えていくなかで、在宅勤務にできる業務内容でかつ環境も整っているのに一向に在宅勤務に切り替わらないことにものすごくイライラしていた。出来る範囲で、むりくり在宅勤務にしてみたりもしていた。けれど、そのうちそうやって上司や同僚、同じフロアで仕事をしているほかのおじさんおばざんたちの能天気な雰囲気に抗うことがめんどくさくなって、いっそ職場で蔓延して中年全員重症化しちまえばいいんだみたいなやぶれかぶれな気持ちになって、3月中旬は普段通り毎日満員電車に揉まれて出勤していた。

そんなやぶれかぶれの状態で迎えた3/20-22の三連休は、天気が良かったこともあってか、「感染しても大したことないらしいしなんかもう大丈夫っしょ」というような気持ちにすらなっていた。人があまりいないことを期待して訪れた新宿も渋谷も人でごった返していた。小中高の一斉休校が4月から解除になるというニュースがあったのも関係していたのかもしれない。けれど、それからわずか2日後の3/24、オリンピックの延期が決まった。その途端に、いろんなことの風向きが急に変わった感覚がある。ちょうどそのころに欧州やアメリカでの感染者が増加し、それについての報道が活発になってきたことも関係があるだろうし、東京でもにわかに感染者が増え始めていたことも関係があるのだろう。週末の外出自粛を受け、勤務先でも原則として在宅勤務のお達しが出た。一週間家に居続けるのは意外と結構しんどくて、昼休みには運動不足解消がてらに近所をウロウロと歩き回っていた。そうして、今週末。相変わらずの外出自粛。用事があったので街に出てみたら、それなりに人はいるものの、夜の商店街が地方のシャッター街のようになっていてびっくりした。わたしが大事に思ってきた大阪のお店たちは大丈夫だろうか。

最近、週末にインドのひとと英語のセッションをしているのだけど、1週間でめまぐるしく状況が変わるから、最近のあいさつは"Stay safe and take care of yourself"みたいな感じになっている。来週は状況が悪くなっていないといいね、というような話をするようにもなった。

9月のビリー・アイリッシュの来日公演は開催されるのだろうか。わたしが好きな音楽や演劇はこの危機を乗り越えられるのだろうか。わたし自身も仕事をクビになったりするのだろうか。このパンデミックが過ぎ去ったあとに、世界の捉え方という点で何か別の枠組みや価値観が生まれ得るのだろうか。ペストのあとにルネサンスが勃興したように。少しだけ酸素が薄いみたいな不安の中で、ぐちゃぐちゃといろなことを考えてしまう。

来週はどんな世界になっているのか、まったく想像がつかない。