みつめる

観たもの、考えたこと、あれこれ

また春が来た

タイトルに「また」ってなんとなくつけちゃったの、間違いなく椎名林檎を思春期にたくさん聴いた影響だと思う。シドと白昼夢をノリノリで歌ってちょっと引かれた田舎の高校生、最近はカラオケに行く機会すらなくなった。

年が明けたなあと思っているうちに春になって、近所の公園の桜が見ごろを迎えていた。土日は混んでそうだからと平日の昼に散歩がてら足を運んだら思ってたよりも人がいて、そうだった、今は春休みの人も多いんだったとひとりごちて写真をバシバシ撮った。薄い青の空にほとんど白に近い淡いピンクの花が散ってる様子がどうしてこんなにも好きなのか。歩いてたら桜ががくからぼとぼと落ちて来るところがあってちょっとだけ怖かった。

毎日はあんまり変わり映えしないけれど今年は舞台を見に行く予定がどんどん入っていて楽しみ。早速今週は空気階段。地味にライブで1回しか見たことがなかったのでドキドキ。

最近読んだ『わたしたちが光の速さで進めないなら』という本がよかった。その中でも、ヒジンという宇宙飛行士が目的地とは異なる惑星に不時着して、そこにいる生命体と数十年かけて交流を深めていく物語がとても好きだった。ヒジンの世話をするのはルイという名前の生命体。ルイも含むかれらが発する音声言語は人間には周波数が高すぎて聴きとれず、文字言語も存在しないので意思疎通ができない。けれどもヒジンは長い長い時間をかけてかれらとコミュニケーションを取る方法をいくつか見つける。はじめて「おやすみ」とルイに伝えることができたとき、相手を大切に思う感情が深まるのを感じた、というヒジンの描写によく分からないけどわっと泣いてしまって自分でも不思議だった。

疎通し合うことなどありえないと思っていた理解不可能な他者と、わずかでも意思疎通ができること。図形の相似みたいにその文脈を現実世界に引っ張って来ると(同じ人間でも理解し合うことは不可能だという前提に立って)、ヒジンとルイが意思疎通する様子は、数多の規範や習慣を身につけたわたしたちが表面的で形式化されたやり取りを交わす様子ではなく、何か深いところでお互いに通じ合っている様子のように思えたのかもしれない。それか、シンプルに、あいさつという、単純ながらも相手を配慮することばを交わすこと自体が沁みてるのかもしれない。

コロナ禍になって、なのか、それとも言語交換の相手の影響なのか、相手へ配慮を目に見えるかたちで(言葉や行動)示すのって大切なんだなと思うようになった。会社のチームの中での立ち位置が変わったのもあるかもしれないけど、最初にそれを思ったのは言語交換の相手に対してだった。大真面目にこちらの質問に答えてくれる姿勢、大真面目におすすめの音楽や本を聴いたり読んだりしてくれておまけに感想まで言ってくれる姿勢。これまでもそういうことを誰かにしてもらった機会がなかったわけじゃないのに、そういった反応をしてもらえると確かに嬉しいのだなと改めて思ったのはやっぱりコロナ禍でひとりの人とのコミュニケーションに集中しやすい(コミュニケーションを頻繁に取る相手の絶対数が減った)ということもあったのかもしれない。そういうことがあって、会社の同僚とのやり取りも積極的に反応するようになった。人間こうやって少しずつ変わっていったりもするんだなーとか思う春。

今週いっぱいは雨降らないでいてほしいな。

おわり

20220314 ego apartment@TOKIO TOKYO

ego apartment

すこし前に見つけたカッコいいバンド。まだアルバムも出てないけど全部の曲がカッコよくてびっくりする。ツインギターボーカル+ベースの3ピース。渋くてハスキーな声と独特な高めの声とが交差する感じ、いい具合に力が抜けてる感じ、全部がカッコいい。


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TOKIO TOKYOというライブハウスの1周年イベントで東京に来るというので見に行った。分かってたけどまあカッコよかった。生だと歌が下手だったりするのかなと思ったらそんなことはまるでなく。

全部で何曲やったんだろう。10曲くらい?サブスクとかYoutubeに出してる曲に加えて新曲が2曲。どれもこれもカッコよくてすごかった。フジロックだとレッドマーキーよりホワイトステージで見たい。夜より昼か夕方が似合うやつ。みたいなことを考えながら見た。フジロックだったらやっぱり最初はルーキーアゴーゴーに出るんだろうか。

後半やってた新東京は用事で見れず。久しぶりに小さいライブハウス行ったから距離の近さになんかびっくりしちゃった。そういえばコーストはもうないんだよなあ、とかちょっと悲しくなったりもして。今年はアルバムも出ます、ということだったのでツアーもある、と期待したい。

おわり

20220124 かが屋の新春ネタ初め一週間興行 「寅」@駅前劇場

三者三様以来、久しぶりのかが屋。単独っぽい公演は3年ぶりくらい。Youtubeチャンネルもあまり見れていないので新ネタだったのかは分からないけど、全部まるっと面白くてそれでいてほっこりするやつで、かが屋のコントだ!って感動しながら泣くほど笑った。笑いすぎて泣いたのか、泣けてくるのに笑っちゃうのかよく分からない感じもまたかが屋って感じだった。

冒頭、色違いの袴を着て出てきたふたり。加賀くんが着付けをしてもらっているときに「黒ギャルはプライベートも黒ギャル」って言ってた気がするけど、あれは俺の空耳?と加賀さんに聞く賀屋さん。どうやら着付けをしてくれた後輩が、公演のイラストを描いてくれた人の言った「陶芸家」という単語を「黒ギャル」と聞き間違えたことに端を発したコメントだったらしい。「陶芸家」を「黒ギャル」って聞き間違えた後輩くんがいちばんおもしろい。何それ。

茶店かが屋の恋が始まりそうなネタ。まじでめっちゃ大好きなやつ。加賀さんの手が震えてカップがカチャカチャするとこ、最後カチャカチャの音だけ(加賀さんは舞台上にいなくて袖から音だけ聞こえてくる状態)で笑えるとこまで持って行くのがすごい。あと賀屋さんがこういう心根まっすぐオラオラキャラしてるのすぐ笑っちゃう。

熱:最初の丁寧なパントマイムが見事に回収されていくさま。「これが私たちのバランス」って嫁が旦那をお姫様だっこしてはけていく終わり方もほっこりかわいい。コントの中で賀屋さんが着てたピンクのふわふわジェラピケみたいなパジャマがなんかやたら面白かった。おもむろに嫁のおっぱい揉むとこで岡部さんwwってなったのたぶんわたしだけじゃない。

努力:謎に「友だちとカバーしたいコント」って思ったコント。カバーしたいコントってなんだろう。でも友だちとやったら楽しそうなんだよ。シンガーソングライターの賀屋さんのビデオもちょうど良い胡散臭さとリアルさで好きだった。

賀屋ピンネタ①:フリー演技(?)のところ、何か大それた仕掛けがあるわけではないのにただただツボって笑い死ぬかと思った。例の駅のくだりで呼吸困難になるぐらい笑ったのに1ミリも覚えてない。最高。

賀屋ピンネタ②:昼の部では3分40秒だったのでひとくだり追加してみたらひとくだり抜かして夜も3分40秒になった、という不思議な展開。

お題「寅」:ここはアドリブだったのか決まってたコントだったのか。加賀さんが禁煙したのほんとのことだったからどっちなんだろう?と思いながら見てた。唐突な寅さんのモノマネ。申請すれば見返りがあったかもしれないのに!って発想おもろかったな。

お風呂:本人だけバッド入っちゃうやつ。パンイチの加賀さんと妻な賀屋さんがお風呂の温度ボタン取り合って取っ組み合いするとこめっちゃおもろいのと加賀さんがガリガリだ~!経費のくだりが爆発的に受けてた。みんな働いてる人なんだな……ってなぜかほっこりした気持ちになった。うんちが固めだったのかゆるめだったのか気になって気になって気になってた。

S:恋が始まりそうなネタマジでほんとに大好き。「僕が〇〇〇だって知ってるんてすか?!?」ってなったときの加賀さんの表情アホほどおもろい。賀屋さんはずっとマツコ・デラックス。何かのプレイを見せられてた。

占い:出オチwwと思ったのにそのあとちゃんと面白くて大好き。加賀さんは女装すると(女装なのかなもはや)強そうな女になるのがかわいい。占ったところで「そりゃそうなんだよ!」な結果しか出ないところも最後にふたり意気投合するのもちょう良かった。

そういえばいつもはアセロラ体操のところが今回はVulfpeckのかっちょいい曲でとてもテンションが上がった。公演特別仕様だったのかな。公演のタイトル読み上げるときに絶対つっかえそうになる賀屋さん、毎日8時に起きてラジオ体操してコント作ってコントする毎日は最高!ってまた目がキマッてた加賀さん、ともによかった。 爆裂良い席があたってたのに中止になった2020年の単独、いつかリベンジあるって信じてる。今年もちょくちょく見に行きたい!

おわり

20220114 だからビリーは東京で@東京芸術劇場

よくよく考えると舞台を見に行くのは2020年2月の『泣くロミオと怒るジュリエット』以来だった。新型コロナの感染者がちらほらと出てきはじめた頃で、千秋楽を迎えることなく終わってしまった作品。2年ぶり、東京に来て2回目の東京芸術劇場

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主人公の大学生、石田凛太朗は『ビリー・エリオット』への感動と興奮から舞台役者を志して劇団ヨルノハテに入る。その劇団は分かりやすく行き詰っていて、みんなで次回公演の準備をしながらも、作品への熱量を持っているのは凛太朗ひとりだけのように見える。ほかの団員とさまざまな演出を試すなかで、凛太朗はきらきらした熱量をにじませながら演じることや台詞への戸惑いや喜びを表現する。その様子は、行き止まりに面しているように見える他の団員の存在もあってか、舞台上でとりわけ生き生きとしているようで、それがなぜか切なくもあった。

結局、コロナのせいで公演は中止になる。演劇を含むエンタメは「不要不急」とされ、凛太朗を含む団員たちもそれぞれにそれまでとは異なった生活を余儀なくされる。ビリー・エリオットに感化されて何者かになるはずだった凛太朗は一度も舞台に立つことなく、行き場を失ったままポンと空中に投げ出される。劇団にいたほかの団員たちの生活も一変し、それをきっかけとしてお互いの関係性も少しずつ変化していく。コロナ禍で仕事を失った人/仕事が増えた人、コロナ禍を誰かと共に生きている人/ひとりで生きている人、という、ごくありふれてはいるが重要な対比も鮮明に描かれる。

「東京では何者かになる途中でいられるんだ」

ウーバーイーツの配達中、車に撥ねられた凛太朗は唐突に台詞を理解する。結局中止になった公演で、脚本を書いた能見さんにそうじゃないんだよなあと何回かダメ出しをされていた台詞だった。役者から黒子に転じた団員たちに支えられて宙を舞う凛太朗を見ていたら、2年前に観た劇団ゆうめいの「残暑」に出てきた台詞が思い出された。

「汚いクツで歩ける東京は最高です」

役者を目指して東京に出てきた主人公が、初恋の人と銀座で食事したあとに放った独白。何者かになる途中の状態、端正でない身なりでもそれらしく見えて許されうる場所。何者かになりたい人にとって、先が見えない今この状態は苦しいのだろう。他人事のような言い方になってしまうのは、舞台上に提示される切実さと、わたしがこの2年で経験した閉塞感と共にある穏やかな静けさが少し違ったものに感じられるからだと思う。

いわゆるコロナ禍に入ってから今までほとんど出社せず自宅で仕事をしている。「ひとりってほんとうにつらいんだよ」と乃梨美が言っていたように、それはそれで大変なこともあったが、少なくとも仕事がなくなったり給料が減ったり、安全が脅かされることはなかった。仕事面ではむしろ評価されることが増えて昇進までした。だからこそ苦しくもあった。身近な友人たちと嬉しかったことを共有したいけれど、もしもそんな状況になかったらどうしようか、という逡巡。そんなことを考えられるわたしが置かれていた状況を、舞台上の彼ら、またはこの舞台を作り上げている人たちの状況と重ねて無邪気に共感しようとすることはできないと思った。

最終的に劇団は解散することになる。能見さんは、その前に、ぼくたちについての、ぼくたちのための舞台をやろうと言う。そして、作品の冒頭と同じシーンが再び演じられる。全てを経験した凛太朗と団員たちによる劇中劇としての再演。客席からもすすり泣く声が聞こえるのが印象的だった。

前に読んだアンリ・グイエの本に、舞台上で起こったことが「存在する」とみなされるのは、「知覚の問題」ではなく「判断の問題」で、その判断は「上演において劇行動を現前させる俳優の仕事であるだけでなく、観客の問題でもある*1」と書かれていた。とすれば、最後の劇中劇は何だったのだろうか。そもそもアンリ・グイエの文章は虚構が現実として立ち現れるために、という文脈で書かれたものだったと思うので、ここで引用するのもお門違いなのかもしれないが、観客なき演劇は演劇といえるのだろうか、という、たぶん演劇に関わる人たちがもう考え尽くしたであろう問いが浮かんだ。一方で、無観客配信も当たり前になった今、観客なしに自分たち(または一度も舞台に立つことのなかった凛太朗)のためだけに演じられるヨルノハテの作品と、収録用カメラの向こうにいる観客のために無人の劇場で演じられる作品たちとの違いは、厳密にどの部分にあると言えるのだろうかと考えてみたりもした。でも、そもそも役者になるはずだった凛太朗が役者をするための舞台だから、そんな問いを立てること自体がとんちんかんな行為なのかもしれない。

ちょっとした小ネタや演出もおもしろかったなー。オンラインでの集まりあるある(ミュートになってる、固まっちゃう)も、オンラインで対面せずにやることを、この劇場という物理的な場所で人と人が対面した状況でやること。凛太朗が宙を舞うところもそうだけど役者が急に黒子になったり、黒子なのかそこに「存在する」のかが分からなくなるシーン。ひとりひとりの独白から他の役者も交えた回想に切り替わるところ。人が変わるとこんなにも解釈が異なるのだと改めて思い知らされ、そしてそれは身に覚えのあるものでもあった。

アル中の父親とのやり取りはいまひとつ消化しきれなかったけれど、かつて暴力をふるっていた父親から逃げる凛太朗の様子は、一度染みついた恐怖が伝わってくるようで苦しかった。舞台装置も脚本もあるとはいえ、人間の身体からにじむ記憶みたいなものを身ひとつで見ている人に分からせる役者ってすごい。

あと、急に韓国語が出て来て面食らったりもした。アクセントがアレでうむむとなったり、恋人に使う「会いたい」だったら만나고 싶다より보고싶다のほうがしっくりくるんじゃ?いやいや韓国語しゃべってるのは日本人役だし気にしちゃだめなやつか?とかいろいろ考えたりしてしまって少し集中力を削がれてしまった。

そういえば開演前に近くで大学生らしき人たちが「うわ来てたんだ!久しぶり!」と挨拶を交わしていてなんだか懐かしかった。ピロティを通り過ぎるとき、銀杏並木の大通りを歩いてるとき、講義棟の階段をのぼっているとき、たまたま同期と出くわしてうわ!となる感じ。そういった偶然の再会もいまのご時世じゃあまりないからか、余計に恋しかった。

おわり

*1:アンリ・グイエ(1990)『演劇と存在』未来社 p.27

2021年を振り返るには少しはやい

あっという間に11月も終わりそう。ついこないだまで10月だったのに!っていうのを繰り返して年末になった。

言語交換の相手とはずいぶん親しくなったなあと、何回も書いちゃうけど、ほんとに回を重ねるごとにそれを感じてそのたびに感動してしまう。こないだ「シナモンロールにハマってるけど、カロリー高めだから我慢しようと思うのについ買って食べちゃう。今日も食べちゃって、このあと運動するのに……」というような話をしたら、冗談っぽく「もう後悔しても遅いね(笑)」という返事が返って来て、わ!冗談を言ってくれた!!と変にテンションが上がってしまった。もともと冗談言いそうにないカチカチっぽい人(あるいはわたしとはそういうスタイルでコミュニケーションをとる人)だったので、ちょっとでもくだけたやり取りをするとすぐにはしゃいでしまう。

特に何かあったわけではない2021年。片手で数えられるほどしかライブに行ってないし、友だちとごはんとを食べる機会もそんなに多くはなかった。新しい場所を訪れることが少なかったから、新しい人との出会いもあまり多くなかったような気がする。

仕事のほうは、あまり変わらないようでいて、なんだかんだそれなりに変化のあった1年だったのかもしれない。関わる領域が広がったり、立場が変わったりと、いまだにペースがつかめなくてあっぷあっぷしているけど。ひとつ、英語を使ってやり取りすることに抵抗が少なくなったのは個人的には成長したところかなあと思ったりする。英語自体の勉強はまだまだやらなきゃいけないし、伝えたいことを流暢に話せるわけではないけど、少なくとも忌避感はなくなった。おとといくらいに急にチャットが来て「今から話せる?」と聞かれたとき、特に何も思わなかった自分にびっくりして、それからちょっとしみじみした。

今年はなんだろうな、忙しさにかまけて生活リズムをちょっと崩してしまったのと、あまりたくさん本を読めなかったのは反省。あと1か月と少しあるから、年末に向けて色々整理しながら自分の調子も整えていけたらいいな。積ん読全然崩せないうちに新しい本買っちゃうのどうにかしたい。

音楽はたぶんめっちゃたくさん聴いた。韓国のアイドルがリリースする新譜は全部聴いてやるぞ!と思って年初から頑張って(?)みたけど、それはふつうに無理だった。知らないグループが多すぎる。アイドル戦国時代がすぎる。

今年のラブだった新しい出会い。


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相変わらず主題がない。あと1か月とちょっと、心身整えてくぞ~。

おわり

チームで仕事をするのは難しい

前の更新から3か月。その間、実家に帰ったり、髪を変な色に染めたり、部屋の模様替えをしたりした。言語交換の相手とは奇跡的にまだ1度も休まずセッションを続けていて、今年の1月に別の相手とはじめた読書会も4冊目になった。

仕事は毎日終わらないタスクに追いかけられまくっている。もしかしたら自分で自分を追い詰めてるだけかもしれない。楽しいのか楽しくないのかは分からないけど、虚無にはなってないからたぶん大丈夫。最近は特に、自分がやってほしいことを、相手が理解できるよう過不足なく説明するにはどうすればいいのか全然分からなくてずっとジタバタしている。そもそも前提として目的地までの中間ポイントをうまく分割できていない気もするし、イメージそのものがあいまいなまま突き進んでしまっている気もする。自分よりあとに入社してきた年下の後輩がいる、という経験はあったけど、自分の配下としてメンバーをつけてもらう、という経験がはじめてでもうずっとてんやわんや。

自分のことにいっぱいいっぱいで、あんまりちゃんとマネジメントなるものができてないなと思う一方、なんかあったら言ってきてくれ!という気持ちもあって難しい。会社に入ってすぐ配属されたチームの、人当たりがよく温厚なプレイングマネージャーのおじさんをふと思い出したりする。あのおじさんって実はめっちゃすごかったのでは。気分の乱高下がある中で温厚さ(あるいは温厚そうに見える表情や立ち振る舞い)を保つこと自体がすごい、みたいなことを思う。

自分と仕事の仕方が違うとか、コミュニケーションの基本スタンスが違うとか、これまでも合う合わないはあったけど、小規模ながらも管理する側に立ってしまった今、これまでと同じやり方をしていたらただのパワハラになりかねなくて、本当に難しい。世に言うチクチク言葉、そんなとげのある言い方しなくていいじゃん、というような言葉がふと自分の口から出そうになってびっくりする。対面だと「冗談っぽく怒ってみる」ということができるが、チャットの文字情報だけだとそれができない。せめて口頭で、と電話をつないで話してみてもいいけどそうするにも勇気が必要だ。

自分の場合、誰かに怒られてもそこまで深く凹むことはなく、やっちゃったものは仕方ないし次またがんばろ、となるところが(最初の上司の指導のたまもの)(超感謝)、ミスを指摘されると萎縮してしまう人もいるみたいで、ちょうど良い対応の仕方をまだ見つけられずにいる。わたしの言い方自体にも原因があるのかもしれないし、その人がこれまでに働いてきた職場がそういうコミュニケーションを取る場所だったのかもしれないけど、その状況で、わたしはミスを執拗にいじくり返したいわけじゃない、口にする言葉に面倒な含みがあるタイプの人間でもない、ということを示すためにどうすればいいのか分からなくてもがいている。どこまで伝わってるのか、なるべく直接聞くようにしてるけど、その場でNOをつきつけられることがないから、本当に納得しているのか不安になったりもする。

Creepy Nutsが新しいアルバムをリリースしたとき、R-指定が、これまでの自分の表現が正しくなかったのでは?と自分を疑いはじめて表現の方法に悩んだり、敵として描いていた人たちに自分がなってしまったことに戸惑ったりしたという話をしているのとか。こないだ行ったお笑いライブで、ゲストで来ていたゾフィの上田さんが「加齢による世の中への目線の変化を受け入れる」とその場にいるコント師かが屋空気階段ハナコ)に話しているのとか、そういう、立場や年齢の変化によって、これまでとは違う視点を持つようになった自分、これまでの自分が抱いていた信条や唱えていた主張とは相反する部分もあるかもしれない自分、最初はそれに戸惑うかもしれないけど、それも受け入れていこうよ、という話がすごく沁みるようになった。これまでいちスタッフとして仕事をしてたときには見えてなかったものって全然たくさんあるんだろうなと思う。

最近超特急がロシアンハードベースの曲を出したことに興奮して、その余波でズンチャズンチャ(?)してる曲をよく聴いてる。


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おわり

Sexy Zoneの王道っぽいラブソングのカップリングでシンセウェーブに出会う

夏到来。Sexy Zoneの新譜に入っているカップリング曲 "Heat" に心臓をわしづかみにされてしまいアナログな方法でスマホに入れたラジオ音源をかれこれ4日間繰り返し聴いています。

イントロは入ってないけど曲の一部は公式サイトから試聴できるので気になる方はぜひ。 
某大手動画サイトでタイトル入れて検索したらラジオ音源も出て来るけど……

イントロを聴いた瞬間に文字通り飛び上がり、そして歌が始まったところでもう一度飛び上がった。なんだかんだで曲を聴き始めて5年近くになるが、けっこうな頻度で「聴いたことのない歌い方をしている!?」と驚くことがある。が、ここに来てまた新しい発見があるなんて思ってなかった。懐かしさを感じるドラムとシンセサイザー、いい具合に力が抜けた歌唱がゴツめのベースに乗って、差し込まれる高めのシンセサイザーの音はどこか切なげで、通り過ぎていく街の灯りやネオンを想起させる。全体的にすっと耳に入って来くるようなやわらかめの音で聴きやすいところも好き。

かわいくてポップでシンセサイザーが効いている曲たちがすごく好きだった時期があったのもあり、*1イントロのシンセサイザーがツボに入ってしまい、これはいつ頃の音楽を参照してるんだろう?と調べはじめ気づけば午前2時。80、90年代のニューウェイブのプレイリストを聴きながら解説記事やブログを読み漁ってもいまいちしっくり来ず、イントロのシンセと広がりのある浮遊感が特徴的な感じがするからいっそフューチャーシンセとか?と調べてみると本当にあった「フューチャーシンセ」(いちばん一般的な呼び方はシンセウェイヴまたはシンセウェーブ)。

シンセウェイヴ (英: Synthwave アウトラン、レトロウェイヴ、フューチャーシンセなどと称されることもある)は、1980年代の映画音楽やビデオゲームに影響された電子音楽のジャンル。2000年代中頃に登場して以来、インターネット上の様々なニッチ・コミュニティで発展していき、2010年代初頭には広く人気を得た。シンセウェイヴは音楽性とアートワークの両面でレトロフューチャリズムを志向しており、1980年代のサイエンス・フィクションやアクション映画、ホラー映画などを模している。サイバーパンクと比較されることもある。1980年代の文化に対する懐古の念を表現しており、その時代の空気感をとらえ、賞賛しようとしている。(Wikipediaより)

あった!!ドンピシャ!!!これじゃん!!!!と興奮しながらプレイリストをお気に入りに入れて、それからはHeatのラジオ音源と互い違いに聴く日々。好きなものが芋づる式に増えるの楽しい。

個人的に聴きやすくて好きだったのはFM-84。アートワークもいかにもシンセウェーブって感じ(らしい)。

去年K-POP界隈でニュートロやシティポップが流行ってたのを勝手にFuture Funk(Vaporwaveから派生したジャンル)界隈由来と思ってたけど、実際のところはシンセウェーブからの流れがあったらしい。調べてたらテミンが去年出した"Criminal"なんかは「シンセウェイブジャンル」と紹介されていて、こんなところにー!という驚きもあったり。

シンセウェーブにも陰陽あるらしいので、たぶんテミンのやつは陰のほうだと思う。

そしてONFが今年"Beautiful Beautiful"でカムバしたとき、MVがサイバーパンクっぽくて、今はこういうのが流行ってる?とか不思議に思ってたけど、あれってこの流れがあったのか?!という新たな発見もあったり。新しい出会いと発見をありがとうSexy Zone。これこそセクシーサンキュー。

ちなみに表題曲の王道っぽいラブソング。こっちはこっちでふつうにいい曲で好き。

 おわり

[参考記事]

日本ではあまり耳にする事のないムーブメント、SYNTHWAVE(シンセウェイヴ)とは | block.fm

シンセウェーブとは? アーティストや音楽、歴史などを簡単に解説 〜シンセウェーブ研究所【前半】 - サンレコ 〜音楽制作と音響のすべてを届けるメディア

シンセウェーブの音作りや制作テクニックを徹底解説! 〜シンセウェーブ研究所【後半】 - サンレコ 〜音楽制作と音響のすべてを届けるメディア

「SHINee」テミンが聞かせる官能的スリラー「Criminal」 | K-POP・韓流ブログならwowKorea(ワウコリア)

2020 케이팝 결산 - 온음

*1:シンセサイザーってめっちゃかわいいじゃん!?というよく分からないゾーンに入ったきっかけはSugar's Campaingの"ネトカノ"だけど、大元をたどると竹内電気の"Sexy Sexy"がはじまりなのでなんというセクシー偶然。(?)