みつめる

観たもの、考えたこと、あれこれ

結果的に音楽のはなし

3月はあんまり調子がよくなかった。オーバータスク気味なのにそのことを相談したり愚痴ったりしづらい環境があったからだろうか。誰のせいでもないのが難しい。3月は人の少ない時間帯を狙ってちょこちょこ映画を観に行った1か月でもあった。西川美和監督に特別な思い入れはないほうだけど、「ゆれる」が好きだったので「すばらしき世界」も観に行ってきた。呆気ない結末だったけれどそこに奇妙な感傷がなくて、この不条理な世界なんてクソくらえだと吐き捨てるみたいで好きだった。厭世的になっているわけではないけれど、物語を展開させるエモーショナルな装置として死を利用する作品に嫌気がさしていたからかもしれない。

最近はというと、OnlyOneOfというグループの曲をバカみたいに聴いてる。映像がきれいで意識持っていかれちゃうから、まず映像を隠して聴いてみたほうもいいかもしれない。

OnlyOneOf - libidO MV

少年愛的なものや、同性の少年少女ならではの箱庭感は比較的よく見るコンセプトだと思うけれど、同性間での性愛のコードをここまで誤解しようがないほどあけすけ(?)に提示するグループはこれまでになかった気がして新鮮だった。同性間の親密性をほのめかす程度の表現はあったかもしれないけど、性的な要素がこんな風にちりばめられているのもあんまり見ないような。けれど、それが間接的にしか表現されないからか、萩尾望都竹宮恵子あたりが定着させた耽美的な少年愛に近いような、うまく言えないけれど、いろんなものが脱色されている感じもする。あちこちで使い古された表現のようでもあり、全く新しい表現のようでもあって、なんだか不思議。韓国やほかの国でこのミュージックビデオはどんな風に捉えられるんだろうか。

そして肝心の音楽。こんなにわたし好みの曲ばかりでいいのかよと戸惑うくらい好きなのばっかり。過去の作品を漁ってみると錚々たるプロデューサー陣。Groovy RoomもGRAYもBOYCOLDも大好きだよばかやろ~!と思いながら、作曲家を調べて作曲家のアルバムを漁ったりもしている。元気なK-POPも好きだけど、やっぱりいい感じに気持よくてまったりした曲が好きだなあと思いながらたくさんたくさん聴いている。

最初の作品から継続的に作曲に関わっている人たち。聴くとなるほどなあという気持ちにもなる。

Haeil - STILL AWAKE Official MV

 

Xydo - BETTING (Feat. pH-1) MV

 

 Nap!er - CHERRY

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2月28日の日記

2月が終わる。春がすぐそこまでやって来ている気配がする。

ひたすら英語の勉強してた1か月だったような気がする(そのわりには上達してないけれど)。週に2回おしゃべりする英語話者のひととのセッションがおもしろくて、ついつい時間を超過して話してしまう。彼女の第一言語母語が英語じゃないからこそ、彼女が欧米出身じゃないからこそ話題にできることがあって、そして、それらについての彼女の考えを聞くのも楽しい。植民地ネタが身近、と言うと変だけど、世代をさかのぼるとひいおじいちゃんぐらいはその渦中にいたひとだから、この人大丈夫そうだなと思ったら会話のなかでそういった話を笑えるネタとして披露してしまいがち。ちゃんと見極めるという段階を踏んでいるので、たいていは笑いが起きるけど、ごくまれに変な空気になることもある。幸い、彼女はそれが通じるタイプのひとで、お互いにたいそう盛り上がってすごく楽しかった。なんだかんだで毎回準備するのは大変だけど、来月以降も休まずになんとかちみちみ続けていけたらいいな。

そういえば、ものすごく久しぶりに大学の友だちとオンライン飲み会をしたりもした。久しぶりに顔を見て話したけど、やっぱりみんな大好きだなあ、みたいな気持ちになって、つくづく好きのハードルが低いなと思うなどした。

みんなまともじゃないんだけど、そのなかでいちばんまともっぽい顔をしてまともっぽい職業についてるのにまともじゃない人間がいる。(「まとも」ってそもそも何よ、という話になるけど、一般的に現在の社会で受容されやすい主義志向を持った、特異な目で見られない、とでも言いかえればいいだろうか?)言及すべき奇妙な部分など持ち合わせていない人間です、みたいな見てくれをしているくせに、突っつくとクセが強くて根っこも深めの思想がズルッと出て来るひと。前からずっとおもしろいなと思ってたけど、今回もまあおもしろかった。わたしなんかより考えて考えて考えまくるひとだから、がっつり議論や対話をするとなったら相当の体力が必要になりそうだなあと思いながらも、友だちの持つ知性が羨ましかった。たまにある、「あなたが知っていることを全部知りたい」みたいなやつ。

別の友だちと「好き」にもいろいろあるよね、という話をしたけど、自分のなかにある「好き」のうちいちばん奇妙なのが「丸呑みしたい」に似た感情だ。たぶんちまたで言うサピオセクシュアル/サピオロマンティックみたいなやつなんだろうなと思うけど。

今月は全然本読めなかったし映画もあんまり見れなかったな。来月はたくさん読んでたくさん観よう。

新しい発見だった音楽たち。今年はタイポップもちゃんと掘りたいな~。


どんぐりず - NO WAY


CIX (씨아이엑스) - Cinema M/V


FEVER - NGLMD「Official MV」

おわり

ソフィア・コッポラを観てミン・ヒジンを思う

有給を取って朝からソフィア・コッポラの「オン・ザ・ロック」と「ロスト・イン・トランスレーション」を観てきた。ミン・ヒジンに関する話題になると、決まってソフィア・コッポラの名前が挙がるのに1本も観たことがなかったからだ。

ミン・ヒジンはSMエンターテイメントにいたアートディレクターで、SHINeeとf(x)に関して言えば2018年までのすべての作品のアートディレクターは彼女だった(テミンの"WANT"は除く)。彼女は2002年からSMで制作に携わり、2018年にはクリエイティブ統括理事にまで上り詰めた。しかし、2019年夏にSMを退職し、BTSやTXTが所属するBig Hitにブランド統括(CBO)として就任した。

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左:ミン・ヒジン、右:クリスタル

彼女がSMを去ってからというもの、SM所属のアイドルが新しいコンセプトでカムバックするたびに起こるファンの一喜一憂に、彼女の影がちらつくようになったように思う。新しいメンバーで制作された作品がしっくり来ず、ミン・ヒジンのディレクションのもと制作された作品を引き合いに出して過去を懐かしむファンもあらわれた。それを「信者」と揶揄するような反応もちらほらと見られるようになった。

個人的には、彼女がディレクションした作品は好きだった。SHINeeとf(x)しかきちんと見ていないので、EXOやNCTについては分からない。ただ、彼女が制作工程と制作物の両方についてより強い権限を手に入れたであろうタイミング(f(x) "Red Light")以降は、映像(Teaser Video, Music Video)と写真(Teaser Image, Booklet)との齟齬がなくなったように感じられてすごく好きだった。もちろん、大前提として、かれらの音楽自体がすごく好きなジャンル/音になっていったというのも大きいけれど。


SHINee 샤이니 '1 of 1' MV

彼女の存在感が増した最初のきっかけは、2013年夏にf(x)の"Pink Tape"のアートフィルムが大きく話題になったことだったろうか。同年春先にSHINeeの3集"The Misconseptions of us"が出たときにも、アルバムジャケットのコラージュが話題になっていた。きっとその前からも一部では語られていたのだろうけれど、自分の体感としては、2013年くらいからファンの間でその存在感が徐々に増し、彼女に関する記事や講演会レポも日本語で頻繁に出回るようになっていった。そして、2015年に決定的な存在、SM所属アイドルのビジュアルイメージやその制作に関心を持つファンであれば誰しもが知っている存在になったという印象がある。

2014年にiFデザイン賞という有名な賞を取ったこと、"Red Light"では自らが写真の撮影も担当したこと、どちらもクリエイティブにそれほど強い関心があったわけではないわたしが知るくらいには話題になっていた。2014年に彼女が行った講演や、2015年に梨花女子大学で行った講演会も、詳しいレポが日本語に訳され当時のファンに広く読まれていたように思う。もともとSMは厨2病っぽい(と言うと語弊があるけれど、ビジュアル系っぽさのあるダークな感じの)コンセプトが主で、わたしはそういったものを「ダサい」と捉えていたので、それらとおさらばしてくれたという意味で、個人的に彼女はありがたい存在だった。

わたし自身が会社で仕事をするようになってから、テクノロジーの発展と相まって、ここ10年ほどであらゆるビジネスにおいてデザインが重要視されるようになったことを知ったが、彼女の仕事はそれとリンクするものだったようにも思える。デザインが重要視される際、デザインは計画が完了しプロダクトの仕様が決まったあとに加えればいいというものではなく、企画構想段階から共に検討すべきものであるという点が強調されるが、それはまさに彼女が行ったことではないだろうか。ひとつのコンセプトのもと、音楽(楽曲)・映像(Music Video)・写真(アルバムのアートワーク全般)を有機的に統合すること。一貫したつながりを作り出すこと。だからこそ彼女はBig Hitに「ブランド統括」という肩書を与えられたのだろう。

しかし、ミン・ヒジンはあまりにもセンセーショナルに扱われたのかもしれない。彼女のディレクションのイメージは話題になったいくつかの作品のみに結びつけられ、「ミン・ヒジン」という単語は個人名としての固有性より、漠然とした「おしゃれなイメージ」という記号的意味を強くあらわすようになったと感じられる。

昨年末にSexy Zoneが出したシングル曲"NOT FOUND"のジャケットについて、「ミン・ヒジンっぽい」という語りが散見されたときにそんなことを思った。具体的に彼女が行ったディレクションにはどのような特徴があったのか、それが語られることはどんどん少なくなり、漠然とした「おしゃれなイメージ」のみがひとり歩きする。(おととい公開されて話題になったSexy Zone "Right next to you"のMVに「ミンヒジンが関わってる?」と言っているひとがいたのはさすがにびっくりした。4wallsと音が似てるからかな?)

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Sexy Zone "NOT FOUND" 通常盤

そんなことを言いつつ、自分自身もまた彼女に「おしゃれなイメージ」をかぶせていたひとりだった。SMが公開した新しいビジュアルイメージがなんとなく好きじゃない。これがカッコいいのか、素敵なのか、イカしているのか、てんで分からない。けれど、なぜそう感じるのか、好きじゃないと感じるのかが分からない。ミン・ヒジンじゃなくなったから? わたしは彼女のディレクションの具体的にどの部分を好きだったのだろう? そもそもわたしが好きなモチーフ、質感なんてあったのだろうか?

そういうわけでソフィア・コッポラを観に行ってきた。彼女の引用元について、ことf(x)について語られるとき、呪文のように繰り返されるソフィア・コッポラの作品を観ることで、彼女が好んで用いるモチーフや質感、スタイルがちょっとでも分かればいいなと思ったからだ。結局のところ、きょう観た作品からそれが分かったかというと微妙だったけれど。(こじつけるなら、「孤独」「理解されないこと」「逃避行」「刹那」のような概念/キーワード?) 

 

書きながらずっと聴いてたHojeanがカッコいいのでおいとく。

www.youtube.com

 

おわり 

 

<参考>

Creative×Logic=∞

K-POPのデザイン1: ミンヒジン|Simon says|note

2月3日の日記

気が付けば2月。かつてないぐらい言語の状況?がしっちゃかめっちゃかでなんだかテンションが上がっている今日この頃。

今年のあたま。なんとなく最近ちゃんと中国語使ってないな、という軽い気持ちから中国のオーディション番組の動向を追っかけ始めた。読み方がわかんないとか意味がわかんないはあるものの、流し聞きしててもふつうに分かるのがありがたい。練習生の自己紹介動画がひとりにつき2分ぐらいなのもちょうどいい。

韓国語はなんだかんだ細く長くずっとやってはいるものの、行き止まり感があったので去年秋から韓国語講座に申し込んでみた。ついこないだそれも終わっちゃったので、今度は言語交換相手探しサイトでパートナーを見つけ、新しく週イチの約束を取り付けた。

仕事では英語を使わなきゃいけない機会がぐんと増え、なんとなく後回しにしてた英語の勉強もいよいよ本腰入れなきゃいけなくなり週に2、3回、英語スピーカーとお喋りをしている。去年のお喋りシーズンは受け身のパートナーだったので喋りたいことをひたすら喋る感じだったけど、今年のパートナーはこういうやり方がいいよ!!といろいろ教えてくれるのでいい感じに進んでる。去年のパートナーもいいひとだったし韓国ドラマ情報の交換とか楽しかったけど。まあ去年は仕事で使う予定もなかったけど今年は仕事で使うありきの学習で、っていうそもそもの目標が違うのもあるだろうけど。ちゃんと丁寧な表現でぺらっと言いたいこと言えるようになりたいよ~。

というわけで、最近は日本語に触れる時間がいちばん長いものの、日本語以外の言語を喋ってる時間がトータルでは多いかもしれない、みたいな状況になってる。楽しい。

あと韓国語学習のパートナーがアメリカの大学を出た韓国生まれ、少し中国語が喋れて今は日本語を勉強している、という人で、偶然にも言語数がぴったりというめぐりあわせも楽しい。たぶん日本にもそういう人はいるんだろうけど、これまでは留学先でしか出会ったことがなかったのでションテンガリアーだった(ハライチのターン)。おかげでこないだの初めてのセッションは途中一瞬何語喋ればいいか分かんなくなって変な感じになってた。あるある。

ちゃんと単語覚えて使わなきゃだなあ。がんばります。

おわり

2020年好きだったもの

今年は初めてのぼっち年越しなのでこんな記事を書いてみる。今年好きだった本と音楽と映像作品。

 

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チョン・セラン 『アンダー、サンダー、テンダー』

平凡な毎日の中に溶け込んだ絶望や狂気が淡々と描かれていて、読んでいるうちにゆっくりと具合が悪くなっていく感じがすごく好きだった。すっかり日常生活に馴染んでしまっている性差別が顔のないモブキャラくらいの立ち位置で、だけどそれがありありと分かるようにきっちりと描きこまれていて舌を巻く。今年読んだのじゃないけど『フィフティ・ピープル』も好き。

 

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荻野美穂 『ジェンダー化される身体』

気合入れなきゃ読了できなさそうと思ってしばらくほったらかしにしてしまっていたものの、読み始めたら想像以上におもしろくてのめりこむみたいにして読んだ。産めるからだを持つことそれ自体を知る必要があるし、そのことについて考える必要もあるけれど、だからといって「女」のからだであることが何か特別な不思議な力と結びつくわけではない、というようなこと。Bodies, that matterじゃないけど、フェミニズムを考えるうえでも日常生活を過ごすうえでも、「からだ」の重要さを感じ入った2020年だったのもあってとりわけ印象的だった1冊。

 

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HYUKOH 『Through Love』

まだパンデミックの気配がほとんどなかった頃に出たヒョゴのアルバム。ボサノヴァっぽいイントロで始まる1曲目のhelpが特に好き。今年はワールドツアーの予定もあったのに新型コロナの影響で台湾以降はキャンセルになってしまったのが残念。東京は2月後半、なんとか滑り込めてよかった。ヒョゴのライブはこれまでにも何回か行ってきたけど、なぜか人類愛みたいなのを感じて「かれらの音楽を直接聴くことができる時代に生まれて良かった」という気持ちになって泣きそうになってしまう。演出の効果かしら。またライブ行きたい。

 

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Alfie Templeman 『Happiness In Liquid Form』

Spotifyでいろいろ漁ってるときにたまたま見つけて衝撃を受けた天才。寝る前の電気を暗くした部屋でパジャマ着たまま好きに踊りたい感じ。ちょうど良い具合にドリーミーでメロウでディスコ。誇張なしに全曲好き。これでまだ17才というから末恐ろしい。日本に来たら絶対ライブに行きたい。

 

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TOMORROW X TOGETHER 『minisode1:Blue Hour』

1曲目のGhostingがいちばん好き。今どきのK-POPっぽくないというかいい感じにシューゲイザーバンドっぽくて、それがとても新鮮で心地良い。一時期スーパーカーにドはまりしていたのもあってかドンピシャ。2曲目のBlue Hourも好き。きらきらディスコポップ。

 

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Alice Wu 「the half of it」 (ハーフ・オブ・イット: 面白いのはこれから)

同じ映画何回も観るほうじゃないけどこれは好きすぎて3回観た。たいていの作品では異性愛が自明とされていて男女ってだけで意味もなく恋愛に収束しがちだけど、この映画はそれに対してNOを表明しているのが好きだった。そんな行動は馬鹿げていると思っていても、現実にそれが起きたときには深く心に刺さることもあるのだということも描いてるシーンがあって、それもすごくすごく好きだった。あとキリスト教の存在感が印象的。それにしても今年は郊外で高校生活を送るアメリカのティーンの映画ばっかり見てたな。

 

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今泉力哉 「his」 

ところどころ棒読みの人出て来てびっくりするけど、なんというかムカつくところがない同性愛の映画だなと思った(マイノリティに位置づけられている人々を「主題」として取り上げる作品を観るときはどうしてもムカつく/ムカつかないで判断してしまう)。離婚裁判のパートの描き方は「マリッジストーリー」を髣髴とさせる。裁判をより有利に進めるために本来言いたいわけでもない言葉をぶつけあう苦しさ。ひとりの人物を全面的に悪人にするわけでもなく善人にするわけでもなく、リアルに緻密に描くこと。某BL原作映画が個人的に最低だったので(ミソジニーが煮詰まってた)この映画の存在自体が救いでもあった。

 

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椿の花咲く頃

日本では「愛の不時着」や「梨泰院クラス*1」が話題になってたけど、今年イチの韓国ドラマはダントツでこれ。自己卑下ばかりでうじうじしてる主人公のトンベクが、ヒョンシクと関わる中でだんだんと胸を張って好き勝手やるようになっていく、その一筋縄ではいかないプロセスが丁寧に描かれているのがとても素敵だった。女たちの対立と連帯を時系列に沿って丁寧に描いているのも好き。ラブコメでもあり、スリラーでもあり、というのも新鮮だったかも。(怖い演出が苦手なのでスリラー展開のときはドキドキしながら見てた)

 

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MIU404

ハマりすぎて毎週金曜日はうどん食べてた。プロデューサー新井順子、脚本野木亜紀子、監督塚原あゆ子のタッグが最高だったドラマ。シンプルにおもしろいし、なにより「今」なトピックがこれでもかと詰め込まれている。映像の暗喩も楽しい。日本語学校/実習生の回はカタコト日本語*2と「かわいそうな他者」としての外国人の描き方に拒否反応示しちゃったけど、いろんなことを考える出発点にもなりうるドラマだったなと。

 

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POSE

「ミッドナイトスワン」におけるトランスジェンダーの表象のされ方と役者のキャスティングに批判の声があがったときに「disclosure(トランスジェンダーとハリウッド:過去、現在、そして)」と一緒に名前が出ていたドラマ。このドラマを見るまではボール・カルチャーを知らなかったし、マドンナの「Vogue」との順番もよく分かってなかった。ボールはごきげんでカッコよくて見てるだけでめちゃめちゃアガるけど「最下層」の現実もちゃんとつきつけられる。ヴォーグカッコいいし音楽もずっと最高。あと身長高くてごつい女が堂々としてるのがラブ。

 

紅白見ながら書いてたら23時過ぎてしまった。ギリギリ。希望はあんまりなさそうな気もするけど、来年はイベントとかもぼちぼち行けるようになるといいな。

おわり

*1:関係ないけど父親探しに韓国に来た人(セロイたちから「外国人」と位置づけられる)がずっと「自分は韓国人だ」って言ってるのに、それが何も解決されないままなぜか最終的に英語で接客するようになってハッピーエンドみたいになってるのずっと納得いってない。

*2:実際にベトナムにルーツがある方を起用していたのはすごく今だなと思ったけど、一般的な日本語の教科書使ってたらそんな発話の仕方にはならないんじゃない?という喋り方、想像上の「外国人」っぽい喋り方をしていてちょっとげんなりしてしまった。

師走

2020年もあと20日くらいになった。新型コロナがあってもなくても変化が大きな1年だったなと思う。人とあんまり会えない分、去年や一昨年なんかよりずっとたくさんの本を読んだし映画を観た。自分の今の生活や将来のことをちらほらと考えたりもした。

今年のあたまにそれなりに大変な仕事を完結させて、新しい分野に飛び込んでめちゃくちゃ勉強して、全然合わない人と出くわして人と一緒に仕事をすることの難しさを考えて、自分にとって新しくもありなじみ深くもあることに運良く仕事として取り組むことができるようになって、そこで必要になった新しいあれこれをめちゃくちゃ勉強した。楽しい、もっと知りたい、って思いながら仕事に関わる本を読んだのは初めてかもしれない。参考文献から気になるもの関係あるものを見つけ出して片っ端からむさぼるように読むあの感じ。

久しぶりに母に電話して仕事の話をしたら、わたしの仕事内容を聞いて「行きたいわけでもない会社に行ったくせにやりたいことできてるじゃん!?」と母が吹き出した。なんだかこっちまで笑いが止まらなくなっていっしょにけらけら笑った。思えば大学もそうだった。別に行きたいわけでもない、というか当時は行くつもりがこれっぽっちもなかった大学に行ったのに、びっくりするぐらい夢中になって情熱を注げる対象に出会って、人生ですごくすごく大切な存在になった人たちにも出会った。不平不満を持ちつつも置かれた場所に適応して真面目に頑張っちゃうという奇妙な特性もあるのかもしれないけど、どうやらわたしには、自分に合いそうなことを扱う場所や自分を受け入れてくれそうな人たちがいる場所を探そうとするスタンスが備わっていて、そして、それをただ考えているだけじゃなくて行動に移すことができるすこしの勇気がある、ということが分かってきた。でもたぶん、うまくいったことの大部分はただただ運が良かったからなんだろうなとも思う。

やったことのないことや分からないことも山のようにあるし、そもそもやりたいこととうまく出来ることは違うこともある。この先どうなっていくのかはまだ分からないけど、今はただただひたすらに楽しい。わたしに期待してくれる人のもとで、わたしの能力を信頼してくれる人たちといっしょに、わたしにとってこれは意味があると思える仕事をできることってこんなにも幸せなんだなって思う。

今年読んでおもしろかった本とか映画とか、あとドラマもけっこう見たから、そういうの、またまとめてみよう。

おわり

ウゲェとの向き合い方

贔屓にしているひとたちの言動(や活動)に対して、ホモソノリやミソジニーやセクシズムがしんどい的な意味でウゲェとなってしまったとき、「ファン」としてそれとどう向き合うべきかについて、再びいろいろ考えてしまっている今日この頃。長くK-POP界隈うろちょろしてるけど、メンバーが契約のことで事務所と裁判沙汰になるとかはあっても、こういう変にもやもやするような問題にはあまり出くわしたことがなかった。K-POPはパフォーマンスだけ見るという選択肢が取りやすいからとか、ことばが違って細かいところまで知らないからとか、そもそもわたし自身の考え方がここ数年で大きく変わったから、といったようなこともあるとは思うけれど、ジャニーズ界隈をうろちょろするようになってから、ウゲェとなる機会が明らかに増えた。

ジャニーズのグループの「ファン」になるという経験をしたのはここ数年のことで、ファンクラブに入るくらいハマったグループは複数あったけど、今でもファンクラブに入っているのはひと組だけ。そのひと組がなんだかんだで続いてるのは、楽曲を含めたパフォーマンスや世界観が好きというのは大前提として、本人たちの言動がそこまでひっかからない*1のと、過去の経験から、活動を追っかけすぎるとウゲェの確率が高くなることを知って、つかず離れずで適度に距離を置いているからと思う。アルバムは買うしコンサートにも行くけれど、雑誌・テレビ・ラジオは基本的には見聞きしない、みたいなマイルール。

以前ファンクラブに入っていたグループは、トークやパフォーマンスもとても魅力的で楽しかったけど、わたし自身が仕事をするようになって日常的にウゲェとなる場面を見聞きしたり、その影響もあってフェミニズムをかじったりするようになってから、少しずつ違和感をおぼえるようになって、そのうちなんとなく疎遠になってしまった(もちろんほかにも理由はある)。

楽しい気持ちになりたくて見聞きしていたのに、唐突にウゲェな気持ちにさせられる。不意打ちのそれに面食らって、むかむかしたりもやもやしたりするけど、わざわざ騒ぎ立てるほどではないし、流してしまった方が自分も楽だからひとまず無かったことにする。しかしそれは不定期に、何度も発生する。また同じように、もやもやを無かったことにする。それが何度も繰り返される。無かったことにされたもやもやは、無くなることなく、心のどこかに澱のように少しずつ溜まっていく。

わたしと関わりのある大切で親しい人たちであれば、勇気を出して対話してお互いに理解を深めようといろいろ策を講じられるかもしれない。だけど、かれらはわたしの人生において結局のところは他人でしかなく、本当の意味での対話ができるわけではない(個人同士での直接的なインタラクションがない)(と、わたしは考えている)*2。そして、自分本位のすごくいやな言い方をすると、かれらが提供する以外にも娯楽はたくさんある。わたしは生活の娯楽としてかれらのパフォーマンスを見聞きしていたはずだったのに、その娯楽のせいで緊張して身構えたりときどきウゲェな気持ちになったりしている。それってふつうに考えたらすごく馬鹿らしいことなんじゃないか。ウゲェと感じている自分を無視してまで、その人たちを好きでいる必要なんかないんじゃないか。

浅瀬でちゃぷちゃぷとコンテンツを楽しんでいるだけなら、ウゲェとなった瞬間すぐに離れるという選択肢を選ぶことができる。だけど、アイドルとファンという「関係性」の真っただ中にいると、理屈では分かっていても実践にはひどい痛みが伴う。かれらを長く見聞きするうちに情がわいてしまって、かれらは明らかに他人でしかないのだけれど、自分にとっては「親しい人たち」のひとりになっていたり、ひとりの人間としてあこがれや尊敬といった特別な思い入れが生まれてしまっていたりする。そうなると、人間なのだからちゃんと正面から向き合わなくては、というような気持ちにもなってしまう。

そして、距離を置くことが賢明だとわかっていても、相手は対話できないとはいえひとりの人間で、人間を相手にいつでも一方的なさようならができるようにしている自分は、かれらを人間ではなく生活の嗜好品として扱っているのではないか。それは倫理的に正しいのだろうか。なんて考え込んでしまったりもする*3。娯楽は他にたくさんある、と書いている時点でもう駄目なのかも。でも、わたしには自分の健康や生活、身のまわりにいる人たちと過ごす時間の方が大切だから、そうするしかないのかも、とも思う。

ちょっと前まではひとりでウゲェとなって流していたようなことでも、ここ最近では、ファン自らが言葉を選びながら批判の声を上げるようになってきた。倫理的におしまいなコンテンツには「それはもう面白くないですよ」と伝えたほうが優しいと思うけれど、本当の意味での対話が難しい「個人」に対して「こうあってほしい」「こうあるべき」と声を上げるのは、たとえば女性アイドルへの恋愛禁止規範に見られるような、ファンによるアイドルへの「信頼」という名の「脅迫」と表裏一体なんじゃないかと思ったりもする*4。個人の信念や価値観ではなく、あくまでコンテンツや業界の構造に焦点を当てるかたちで声を上げればいくらかはマシなのだろうか。分からなくて、結局またぐるぐるしてしまう。

ジャニーズもだけどお笑い界隈をうろちょろしてたときもウゲェに出くわすことが多かった。アイドルとアイドルのファンほどには関係性に焦点が当たってないからか、距離を置くのは難しくなくていくらか幸いだった。

おわり

*1:そんなこと言いつつ、居心地が悪くなることが全くないといったらうそで、ただわたしの許容範囲内にとどまっているから続いてるんだろうと思う。

*2:アイドルを仕事としているひとたちは、「ポジティブ/ネガティブ問わず強烈な感情を向けて来るけど、ずっと同じようにそこに居続けてくれるわけではない身勝手な他人」としてのファンをどうやって受け入れてるんだろうとか、ふと考えたりもする。

*3:前も同じようなこと書いてた。そうかあれは「コミュニケーションとして行われる女の外見ジャッジ大会」!

*4:余裕が出てきたら読みたい:香月孝史 『乃木坂46のドラマトゥルギー 演じる身体/フィクション/静かな成熟』