みつめる

観たもの、考えたこと、あれこれ

君はそう決めた

坂本慎太郎の「君はそう決めた」はずっと自死するひとの曲だと思ってた。なぜそう思ってたんだろう。飄々として軽やかなリズムと音のうえで転がる「君はそう決めた 突然に」にその決断の深刻さと軽薄さの両方を感じる。世界を捨て去ることなんて全く大したことではないんだよと言ってるみたいな感じ。カミュの『幸福な死』を読んだときになぜか浮かんだのがゆらゆら帝国(または坂本慎太郎)だったからってだけなのかもしれない。

なんで急にこんなのを書いてるのかと言うと、さっき不意に、「君はそう決めた」が自死するひとではなく人生をずんずん進んでいくひとの曲に聴こえてびっくりしたから。心境の変化?10年くらいなんとなくこういう曲だなあと聴いてた曲が大したきっかけもなく自分のなかでまるでその姿を変えることってあるんだな。

ここ数ヶ月悩まされていたことがあったのだが、ついに明日なんとか決着がつくかもしれなくて少しそわそわしている。それにしても不甲斐ない自分に悲しくなる日々。って打ってたら「今年やりたいこと、ブログに書いておこう!」という文字列が目に入ってなぜかほっこりした。

決めたことをきっちりやり遂げられるひとになりたい。いくら考えてても言語にして伝えようとしたり行動に移したりしないと何も残らない。言語も行動も何かを伝えるための媒体となるときは常に取りこぼすものだけど、痕跡は残しうる点で何もない状態とは全然違う。

そういえば自己愛にまみれてるっぽい文体に嫌悪感を抱くようになった。同じ自己愛でもほんとに自分しか見てないんじゃないかって文体は大丈夫かもしれない。チラチラとこちら側を見てくるような文体が駄目。と言いつつこうやって文章書いてること自体が自己陶酔っぽくもある気がして矛盾している。淡々としていながらもそれなりにやわらかくて、でも乾燥していてつめたい文体に憧れる。

なんでこんな話になったのか忘れた。思春期のころ書いてた日記みたいな文章になった。寝る。

おわり