みつめる

観たもの、考えたこと、あれこれ

「大人」になること、「アイドル」との付き合い方

気が付けば今年も半分が過ぎた。先月は久しぶりに海外に行った。以前からたびたび訪れている馴染み深い場所だったので新鮮味はなかったけれど、やはり日本の外に出ると私を規定するさまざまなしがらみのようなものから解放される気がして楽しかった。

今年はやたらとお芝居を観に行っている。今のところ「おとこたち」がいちばん好きで、観ているあいだ奇妙な興奮状態に陥って脳も目もずっとギンギンだった。タイトルこそ「おとこたち」でメインキャストも男性だが、大原櫻子さん演じる純子がぶっ刺さって鳥肌が止まらなかった。「いつかはひとりぼっちになるらしい ほんとかよ 信じられないよ」という歌詞に感じる絶望と希望。

ここんとこでいうと、テレビを全然見なくなった。というより見れなくなった。

ざっくり言えば、3月からずっとぐずぐずに煮詰まっているジャニー喜多川の性加害問題*1のため。ジャニーズ性加害問題、という表現が一般的だろうか。所属タレントが何かしでかしたわけではないので彼らにはいくらか申し訳ない気持ちになるが、テレビをつけていて所属タレントが出演していると、「ジャニーズ事務所は先代の性加害について適切と思える対応を取っていないのに、どうして?」と、なんだか空恐ろしくなってしまい、ええいとテレビを消してしまう。最初のころは他のチャンネルに変えたりしていたが、チャンネルを変えても異なる所属タレントが出演していることが多いので(なまじ誰がジャニーズなのかがある程度分かるだけに余計厄介)最近ではテレビそのものをつけなくなってしまった。

なぜこんなに「食らってしまっている」のかは自分でもよく分からない。反応がいくらか過剰なような気がしなくもない。被害を訴える人たちのインタビューや性加害に関する続報が出るたびに新聞社の有料会員になってまで記事を読んだり、自分で関連する映画や本を探して理解に努めようとしたりしているが、そうやって積極的に経緯を詳しく追いかけていることも、いくらか行き過ぎているように感じられる。そう感じることが正しいのかも分からない。他者に起きた出来事なのに、なぜ私がこれほどまでに傷ついているんだろう。それも分からない。ジャニー喜多川が行った行為が、ハラスメントという社会に遍在するごく一般的な問題と容易に関連させることができ、さらにそれらが「未成年」に対して数十年にわたって行われてきたという事実があまりに衝撃だからだろうか。

ファンコミュニティが鈍い反応しか示さないことも、ハラスメントに加担する悪気のない人たちを見るようで恐ろしく不気味だ。BBC報道があったくらいから社長の謝罪後くらいまでは、自分も含めこれまでこの出来事を無視してきた事実を受け止めて「ファンこそ事務所に対して声をあげるべきでは」と考えていたが、変わらず沈黙する/声を上げた被害者やファンを黙らせようとするファンが大多数を占める様子を見るとそれはどうやら無理らしいことを悟った。「アイドル」を人間と思わない方が精神的に楽なのは理解できる。反対に、彼らを人間だと捉えているからこそ、「本人からの発言がないことには動けない(「公式を待とう」)」と思っているファンもいると思う。どちらにしろ沈黙しているので見分けはつかないが。

性被害にあったかどうかにかかわらず、所属/元所属タレントはその構造の中にいたという意味で「被害者」ではあるとは思いつつも、長年にわたる性加害を見過ごしてきた「傍観者」という立ち位置に置かれてしまう結果にもなっているので、大雑把に「罪がない」とされること自体には懐疑的であると同時に、その構造を生み出したのは何だったのかについても考えてしまう。性加害をなかったもの、または芸能界には当然のもの、いちゴシップに過ぎないなどとして受け流したメディア、ファン、大衆、と、濃淡はあれども同じ「傍観者」たちの問題。

(合理的思考も職業倫理もない日本企業あるあるの権威主義もあいまって、日本の音楽/芸能全体が「ご恩とご縁(by山下達郎)」で成り立っていたがために悪習を断ち切れなかったことに端を発する問題ととらえれば、音楽/芸能の領域に限らずあらゆる産業に遍在していそうだと思わなくもないが、その論点は私には手が余るので経済紙の記者あたりに考えてみてほしい。)

年始にある女性アイドルグループが公開したMVを見て、アイドル産業そのものへの嫌悪感をつのらせていた矢先の出来事だったから、というのもあるんだろうか。同世代の友人らが子どもを授かったり会社で役職を得たり、自分も会社で誰かの責任を取ったり(おこがましいかもしれないが)誰かを守る立場になってきたり、という変化の中に私がいるのもあるのかもしれない。「大人」につきまとう様々な責任から逃げ出す先として「アイドル」の存在があるなら、それにいつまでも没頭したり、それを「救い」として利用するのは「大人」としては不健全なのでは、というようなことも考える*2

一方で、思春期の頃に知ってから今に至るまで、なんだかんだ人生のどこかに割と深く根ざしているアイドルグループがいる。音楽先行ではあるものの、メンバーひとりひとりに対してある種の「親密さ」を感じてしまっている自分もいて、これから先、彼らとどうやって正しく付き合っていけばいいんだろうか、と考える日々でもある。奇しくも今日は末っ子の20代最後の日。今のところ彼らやファンダムに対して「『成熟を拒む振る舞い』を見出して葛藤する」、というようなことはないが、今後どれくらいの距離感を維持すべきなのかは考えた方が良さそうだな思ったりもする。

そういえばこの夏、2年半くらい言語交換をしていた韓国の方とついに対面した。って書いてたらチャンギハのこの曲流れてきた。いい歌詞だな。


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할건지말건지

おわり

*1:念のため明言すると、ここでは、ジャニー喜多川による性加害はあった、という立場をとる。99年~04年の裁判での結果(ジャニーズ事務所に対する名誉棄損で文春は敗訴しているが、争点のひとつであったジャニー喜多川による性加害について最高裁で「真実性の抗弁が認められる」とされた)、2023年3月以降実名・顔出しで被害を訴える人が10名近くいること、また、ジャニーズ事務所が立ち上げた「再発防止特別チーム」が「性加害はあった前提で調査を進める」としていること、の3点に依拠して上記の立場をとっている。

*2:別にそういう「大人」がいてもいいんだと思うが、それが多すぎると社会として変なことになるのでは、みたいなこと。