みつめる

観たもの、考えたこと、あれこれ

ちょっぴりもやもやしたコントの話(キングオブコント)

ビスブラの優勝に異を唱える系とかではない。ビスブラの話ではある。

お笑いとフェミニズムにぎゃーぎゃー言いながら苦しんでいた2019年からはや3年。引き続きフェミニズム周辺の本をつまみ食いしながら、遠くの方からお笑いを見る日々。今年劇場で見たのはかが屋空気階段キングオブコントの準決勝(1日目)。周辺のラジオもテレビもゆるっと。お笑いは楽しいけどなんだかんだでホモソーシャル的なあるいはミソジニー的なノリが強いところではあって、近づきすぎると考えこんじゃったり打撃を食らってしまったりすることをどっぷり期を経て知ったので、浅瀬でちゃぷちゃぷするにとどまっている。

そんな風に距離を取っていたのに久しぶりにもやもやしてしまっているのは、先日放送されたキングオブコントビスケットブラザーズが披露した2本目のコントのため。全然頭の整理ができてないけどとりあえず書いてる。書いてるとまとまることもあると思いたい。

準決勝ではじめて見たときに自分がどんな感想を抱いたのかはっきり覚えてない(そこまで刺さったわけでもなくかといって激烈な嫌悪感を抱くほどでもなかったからだと思う)が、笑っちゃうところもあるけど笑いづらい、という感覚だったよう気がする。きんちゃん演じるキミカに対し、原田さん演じるフミコが「紹介したい」と話す人間(ダイスケ)が、まさにその話をしている人間(フミコ)の中から「出て来る」、という構造は意外性があった。顔も面白かった(ビスブラいつだって顔がずっと面白い)。ただ、その展開を知ったうえで改めて決勝で見たとき、「女性のふりをして女性に近づく男性」という設定に感じてしまった気味の悪さと戸惑い(本当にそんな人がいたら怖いしそんな人いないとも言い切れない不安)や、これはトランス差別に接続されてしまうのではという懸念が、顔の迫力だったり動きの俊敏さといったフィジカル面で面白いと感じていた部分を超えてしまい、1回目に見たときよりもけっこう笑えなくなっていた。さらにそれが大絶賛されていたことにうむむとなってしまい若干の夜更かし。

いずれにせよたしかなことは、何かを「笑える」とか、何かを「笑えない」とかいうことは、どうやら対象物に付随する性質ではない、という点だ。笑いはそこに内在するものではなく、むしろそれを見る観客の規範や価値観にもとづいて派生するものなのである。だからこそ、「笑いにくさ」の正体は、ネタのおもしろさという次元だけで語りうるものではなく、社会的なまなざしの問題として理解されねばならない*1

ここ数年インターネット上におけるトランス差別に関する議論が活発になっているのもあって余計にもやもや?

トランス差別に関する話題はある程度関心がないと追いかけないだろうから、関心がない人だったらそこまで考えてネタ作ったりもしないよなと思いつつ、一方で、2021年に星野源みたいな人が『トランスジェンダーとハリウッド』をすすめていたり、実際に映画『ミッドナイトスワン』公開時にトランスジェンダー女性役はトランスジェンダー女性がやるべきではという話題でちょっぴり炎上もしたりしていたし、日本のドラマや映画にもトランスジェンダーが登場することが多くなってきたので(2021年だとNHKの「半径5メートル」など)、「トランスジェンダー」という存在自体について、ある程度は人々の意識の俎上にのぼる状態になっているのでは?とも思っていた。表現に関わる人だとなおさらアンテナ張ってそう、という思い込みもあるかもしれない。

www.huffingtonpost.jp

ただ、これまでテレビでさんざんやられてきた「オネエ」揶揄のように、ビスブラのコントでは女性(フミコ)の「ふりをしている」(この言い回しを使うことが適切なのか分からない)男性(ダイスケまたはリョウタ)が女性(フミコ)として存在しているときの行動を、キミカが気持ち悪いなどと茶化すようなことはしていないのがまだ救いだったかもしれない(コントの中でダイスケがフミコになるために準備された小道具(かつら、カーディガン、スカート)のうち、かつらだけをかぶった(フミコとして)「不完全」な状態にもかかわらず、堂々と「フミコ」として喋るダイスケまたはリョウタに可笑しさを感じた観客が笑うことはあったとしても)。

あとこれはビスブラのコントとは別の話だけど、女性審査員を追加したほうがいいって強く主張するわけではもうないものの(界隈へのパッションのようなものがないともいえる)、コントの中身は時代をいくらか反映したりして変わってるのに周辺はそれほど変わらないのだなという感想を抱くなどした。審査員を一新したときにも若干その気持ちはあったけど久しぶりに行った準決勝で審査員席に座ったプロデューサーや作家が相変わらず見事にオール中年男性(若い人もいたら申し訳ないけれど遠くて見えなかった)だったのもたぶんある。

ついでにキングオブコント準決勝1日目の感想。ここ数年ちらほら見た「新しく規範に加わったものに対して『これってどうなの?』と問題提起または逆張りをする」風のコントが少なくて好きだったのと、展開!ってのも出オチ押し出し!って感じのコントもあり、例年通りではあるかもしれないけどバラエティ豊かでとても楽しかった。

引き続きもやもやはしながらもコント自体は楽しいのでたぶん来年も楽しみに見ちゃう。ヨネダ2000来年こそは決勝いってくれー!

おわり

*1:塙幸枝(2019)「「許容のコミュニケーション」としての笑いーおもしろいから笑うのか、笑うことでおもしろくするのかー」早稲田文学会『早稲田文学増刊号 「笑い」はどこから来るのか?』筑摩書房, p.88-p.94