みつめる

観たもの、考えたこと、あれこれ

思いもよらないこと

少し前に大学の友だちとオンライン飲み会をした。

在学中にすごく親しくしていたわけではないけれど、なんとなくずっと連絡を取っていて、つかず離れずみたいな距離感を保っている人たち。わたしが彼らのひとりひとりに対してずっと好感と関心を持っていることも、微妙な距離が保たれている理由なのかもしれない。みんな同じ学部だけど専門はバラバラで、だけどやっぱり同じ学部ゆえなのか思想の根っこみたいなところは割と似通っている。少なくとも会社の人と話しているときにぎょっとしてしまうあの感覚に襲われたことはほとんどない。みんな当たり前のように政治や思想の話をするし、これまでに親しんできた、いまなお親しんでいる文化(漫画小説テレビ音楽美術哲学、とか)の話をする。

最近の生活のこと、仕事のこと、その他の取るに足らないようなどうでも良いことについて、だらだら適当に話しているだけなのに、バカみたいに笑えた。バカみたいに楽しかった。のに、ひとつだけ心に引っかかってしまったことがあった。何の話をしていてそういう流れになったのかは忘れてしまったけど、慶應義塾大学のミスコンで起きたセクハラ事件*1が話題に挙がった。あの事件ほんとに最悪だったよね、というような話をしていたら、ひとりがこう言った。

「でも告発した女も女じゃない?」

おっと、そういうことを言っちゃうのか。ああ、出くわしてしまった。知らないままでいたかったのに。

わたしは黙ってカルピスを飲んだ。つかず離れずの距離は、こういうときに厄介だなと思った。すごく親しい友だちだったら「本気でそう思っているのか?」と、それぞれの立ち位置を確認しながら話し合うことができたし、どうでもいい知り合いだったら、「できるだけ関わらないようにしよう」と思うことができたからだ。そのどちらもできず、わたしは画面から目をそらしてちびちびとカルピスを飲んだ。

「できれば知らないままでいたかった憎悪/蔑視/差別の片鱗に出くわしてしまった」経験は、別にこれが初めてじゃない。日本以外の東アジアの国々、そこに住む人々について、極端な差別とまでいかなくても、軽口のような、冗談みたいな差別をちらつかせる人をわたしは何人も目にしてきた。コミュニケーションの一環として、自分にはユーモアのセンスがあるとでも言うように、彼らが侮蔑的でくだらないことを口にする場面を何度も目にしてきた。(そういえば去年のキングオブコントの準決勝でも、いまだにそういうネタをやっているコンビがいた。)そういったものに精神を削られないために、自衛がてら、出会う人みんなにわたしは自分の出自をわざわざ説明するようにしてきた。説明しておけば、そもそも変な奴は寄ってこないし、説明したうえで差別的な発言をするような人間がいればそんなのは縁を切ってしかるべきだと自分で納得できるからだ。

友だちが何の気なしに口にしたそのひとことで、わたしは、どこにでもある話題のひとつとしてフェミニズムの話をすることに対して、少しばかりの怖さを感じるようになってしまった。出自を明かさないで付き合いを続けた人が、ふとした拍子にこぼした差別的な軽口に肝を冷やす感覚と似ていた。今後、わたしがわたし自身の経験や、わたしのまわりの人たちの経験について話したときに、この友だちみたいに「やりすぎ」だと言われてしまうのだろうか。他の事柄について話すときにはすごくしっくり来る友だちなだけに、ああ、こういうことって本当にあるんだなと少し落ち込んでしまった。

コップに残っていたカルピスを飲み切ったときには、別の話題に移っていた。その発言に反応する人がいなかったので、それ以上の追い打ちはなくてホッとしたけれど、感じてしまったわだかまりは消えないのだろう。 

あくる日、大学のときの別の友だちから久しぶりに連絡が来た。好きなものは似ているものの、なんというかつま先から頭のてっぺんまで真反対な女の子だ。ふつうに話しているとそれなりに楽しいけれど、深くまで突っ込んでいくと根っこの違いが露呈するような、あまりにもわたしと違いすぎているので、その違いにあっけにとられたり、ときには否定的な気持ちになったり、ときには羨ましいと思ったりするような女の子だった。わたしがこのめんどくさい内省的な性格を持ち合わせていなかったり、フェミニズムをかじったりしていなければ、たぶんわたしは彼女のことが「苦手」だったろうなと思う。

彼女からの突然の連絡は、ざっくり言えば「フェミニズムに興味がある」という内容だった。どうやら『82年生まれ、キム・ジヨン』を読んだらしい。彼女のこれまでの振る舞いから、どちらかというと、性的なからかいもうまく受け流してこそ器用な女、というような考え方をしていると思っていたから、彼女がフェミニズムに関心を持つようになったことも、そして、そのことについてわたしに連絡が来たことにも驚いた。何が彼女をそうさせたのかは分からないけれど、考え方も良しとする哲学も行動様式も何もかもが違うと思っていた彼女との関係に、少しばかりの変化が起きるのかもしれない。

思想が合うだろうと思っていた友だちの言葉にひやりとさせられ、思想が違いすぎて分かり合えないと思っていた友だちとの間に連帯の兆しを見つけた。前者は楽しくないことだけれど、後者には、ちょっとだけわくわくしている。

 おわり