みつめる

観たもの、考えたこと、あれこれ

見たこと、考えてること

先週、釜ヶ崎にあるセンター(施設?)で開催された小さな集まりに行ってきた。

そのセンターは地域の人たちの自立支援みたいなのをやっていて、月にいくつも、違った趣旨の小さなイベント(集まり)がある。そのなかのひとつ、ひたすらにおしゃべりをするというような集まり。

西成のあたりに行くのは2回目で4年ぶりだった。その付近を電車で通り過ぎることはあるけど、実際にそこを歩いたり、そこで遊んだり、そういうようなことをする場所ではなかった。その場所に対する知識が中途半端であまり豊富ではないからか、「なんとなく怖い」ような場所みたいに感じていて、だけど一方でそう感じている自分を認めたくない、みたいな気持ちも持っていた。電車でその地域を通り過ぎるときに、初めてそこを歩いたときのことを思い出して、ことばに出来ないもやもやが胸の端っこのほうに浮かぶのを感じていたりした。

私が行った小さな集まりでは、そのセンターにしばらく通っていた方の最期の3ヶ月をうつした映像作品を見た。

あまりにもその映像のインパクトが強くて、終わったあとはほとんど何も手につかなくなってふらふらしながら家に帰った。私はことばを使って人の経験を伝えようと思ってきたけれど、映像と音声の持つ力はやっぱり強い。ことばか映像のどちらが良いかということを論じようとかいうわけじゃなくて、単に私は、映像でじかに「その人の姿や動きを見る」こと、音声として「その人の声を聴く」ことそのものすごい力に圧倒されたという話がしたいだけ。(って自分で言ってはみたけど目が見えづらい人とか耳が聞こえづらい人はどうなるんだなんてことを考えてしまってる)

その映像のなかで印象に残ったことば。

うろ覚えなので、ニュアンスだけ。

他人を分かりやすくしてしまうとき、自分のことも分かりやすくしてしまっている。たとえば、あいつは「異常」で、自分は「正常」だって思うみたいに。

その場にいた他の人たちにとって、映像に登場する「彼」は何かしら関わりのある人だったけど、私にとって「彼」はその日はじめて映像で見る人で、何も知らないのに涙を流すのはなんとなく恥ずかしくて(すこし傲慢な気もして)なんとか我慢してたけど、このことばを聞いたときにぶわっと涙が出た。私が自分以外の人に対して度が過ぎるほどに「背景」を想像してしまうのってこういうことだったのかな、みたいなことを思って、思わず泣いてしまった。

私はたぶん、自分が「分かりやすい」存在に還元されることをすごく嫌っている。分かりやすい存在というか、何か特定の集団(たとえば、女、○○人、若者とか)のなかに分類されることがすごく嫌なんだと思う。「女でしょ?」と言われると、「そうだよ」と答えることはできるけど、そうやってあえて「女」という集団に分類する(「集団としての名前をつける」)という行為そのものがたぶん好きじゃない。そうやって名前をつけることは、その人をその「名前」だけで表現できちゃうみたいな状態にしてしまうことで(実際はそんなことできるわけないのに)、だから、その人が持っている他の色んな「背景」に対して想像力をはたらかせないようにすることでもあると思う。だから私は自分以外の人に対して分かりやすいが苦手なんだろうなと思う。(いろいろと考えを巡らすのも疲れるから、ときどきめんどくさくなってベタッとラベルを貼ってしまうこともあるけど)

自分のめんどくさい考え方の根っこみたいなのが分かってちょっとだけすっきりした。でもこの考え方を持ってる限り、私からみえる世界はすっきりしない。もともとすっきりしてない世界だとは思うけど。

そして「ホームレス」ってなんだろうな、と考えた。「路上生活者」と言い換えると、なんとなく雰囲気が違ってくる。

私も「ホームレス」というと「道ばたで寝転がってる汚いオジサン」というようなイメージを持っていたし、今もそのイメージが完全にぬぐい去られたかというとそうじゃない。

イメージが変化したのは、某地域の高校で行われている貧困に関する総合学習後に高校生が書いた感想文にあった「ホームレスのおじさんたち」のエピソードだった。詳しいことは忘れてしまったけど、「ホームレス/路上生活者」という状態になるまでには、いろんな経緯があったんだよという話。そりゃそうだよな、と思いながらも、自分にその視点が欠けていたことをまざまざと見せつけられたような気がした。

知らないことはまだまだいっぱいあって、私はまだまだ「無神経」な人間なんだろうなと思う。

書きながらなんとなく思ったけど、「障害者」とか「路上生活者」って属性みたいな感じでドンとあるけど、どっちかっていうと「状態」に近いかもしれない。たとえば足の骨を折っただけでも、今の社会でもしばらくは「障害」が多いの生活になるわけだし。

国外で生活していた頃、日本で暮らすよりも道ばたで物乞いをしているような人を見ることが多くて、そのたびに悲しくなって泣いてたことを思い出す。でも感情としては怒りにも近くて、その人たちに対して怒りを感じているわけではないことはわかってたけど、こみあげてくる涙と「かわいそう」という感情と一緒に、怒りも顔を出すみたいな。

あれは何だったんだろう。