みつめる

観たもの、考えたこと、あれこれ

ジョンヒョンの不在、伝わらないということ

このブログに残すべきなのか、別のブログに残すのか、すこし迷ったけれど、ジョンヒョンのことよりじぶんのことを語っている部分が長いような感じがしたので、こっちのブログを選んだ。

SHINeeの東京公演を観て来た。東京公演に向かう飛行機のなかで、読みかけのままほっぽり出していた鷲田先生の本を読んでいたら、いま、じぶんがジョンのことを考えるときのこと、そして、ジョンが実践していたことをありありと思い起こさせる一節にぶつかった。

対話は、他人とおなじ考え、おなじ気持ちになるために試みられるのではない。語りあえば語りあうほど他人とじぶんとの違いがより微細にわかるようになること、それが対話だ。「わかりあえない」「伝わらない」という戸惑いや痛みから出発すること、それは、不可解なものに身を開くことである。そのことで、ひとはより厚い対話を紡ぎだすことができるようになる。対話のなかでみずからの思考をも鍛えてゆく。よくよく考えたうえで口にされる他人の異なる思いや考えに、これまたよく耳を澄ますことで、じぶんの考えを再点検しはじめるからだ。
鷲田清一『哲学の使い方』p.200

かつて、じぶんの経験が、じぶんではない誰かに全く理解されない、「伝わらない」体験をしたことがあった。ちょうど20歳になった頃だっただろうか。わたしはふたつの名前を持っている。当時のわたしは周囲の比較的親しい人たちに名乗る名前と、ふだん使う名前とがあった。当時のわたしにとってそれはとても重要なことがだったのだが、ふだんわたしが親しくしていた友人たちは、どうして名前を使い分けることにこだわるのか、というような、素直で、素朴で、単純な疑問をわたしに投げかけた。言葉につまって、わたしはとりあえず笑って、なんでだろう、と返した。こんなにも身近にいる友人たちに理解されていなかったのだという事実に、わたしは大きなショックを受けた。その出来事をきっかけとして(もちろん、その体験のほかにもわたしに影響を与えた事柄はあったけれど)、わたしは「他者を理解することは不可能だ」と考えるようになった。そう考えるのは、おおむね、「分からない」ということばを投げつけられ、理解されなかったわたし自身のためだった。ジョンが言っていた「理解することよりも認めること(이해보다 인정)」ということばに共感し、同時に、そのことばを口にするジョンにすこしだけ自分を重ねてしまうのは、たぶん、その体験からきている。

「他者を理解することは不可能だ」ということを忘れないように何度もじぶんの中で繰り返すのは、人と人とが理解し合うことに絶望しているからわけではない。こう考えるのは、わたしが、じぶんではない誰かと対峙する際に起こりうる衝突をいくらか緩和したいと考えているからだ。別の言い方をすれば、(やや過激かもしれないが)じぶんと育ちも経験も異なる他者を理解できるなどと思うことは単なる思い上がりで、傲慢ですらある、と、わたしは考えている。そう考えることは、わたし自身に対する戒めでもあった。かつてわたしの経験が理解されなかったときのように、わたしもまた、いま、目の前にいる誰かがわたしに伝えようとしている何かを受け入れようともしないまま拒絶し、否定してしまう可能性があるということを、わたしはいつまでも忘れたくはないだけだった。

12月18日のあと、「ジョンヒョンがいない」ということ(どうしてか、一般的に使われるあの直接的な表現を、わたしはいまだにジョンヒョンのことについて使うことができないでいる)に対して、いろんな人たちがじぶんの気持ちを、ぽつぽつとつむぐ様子を見てきた。それらにはいろんなかたちのものがあって、まるでわたしのことばのように感じられるものもあれば、どうもわたしにはしっくり馴染まないものもあった。ジョンが自らこの世界を捨てるという選択をしたという出来事にどのように向き合うのか。明日も生きていく自分のために、その出来事をどのように意味づけるのか。それぞれに、さまざまなかたちがあって、それらが自分の方法とは違っていても、否定したり糾弾したりするのではなく、そのまま受け止めようとする様子も見た。

けれど、さまざまな声が溢れるなかで、「かなしむ資格を持つ者」の選定が行われることや、「正しいかなしみ」を競い合ったりするようなこともあったように、わたしには見えた。そのたびに、わたしは「かなしむ資格を持つ者」なのだろうか、と考え、わたしがいま感じているこの気持ちは果たして「正しいかなしみ」なのだろうか、と考えもした。

そうすることに意味がないということは分かっていた。「ジョンがいなくなってしまった」ということが、わたし自身に対してどのように現れていて、わたしはそれに対してどのように感じているのか。それ自体が大切であって、誰かと比べる必要はなく、それだけがわたしにとってのに真実なのだというような考え方を、ある程度固まったものとしてじぶんのなかにすでに持っていたからだ。

「他者を理解することはできない」「理解することより認める(受け止める)こと」

ジョンがいなくなったとき、わたしは長い長い文章を書いていた。さあこれから最後の追い込みだ、という時期だった。夕飯を食べたあと、さあもう一息、と、パソコンに向かったわたしの目の前に飛び込んで来たのは、まるで他人事のような知らせだった。肉親でもない人がいなくなってしまうということに対して、これほどの息苦しさやかなしさを感じることがあるのかと思った。彼の不在をいつまでもかなしいと感じるというこの体験は、当然、わたしのまわりにいた人々には伝わらなかった。他者との「対話」に敏感なかれらにさえ、伝わらない。否、かれらはそれが伝わらないことであることを知っているがために、深入りして来なかったのかもしれない。

わたしは、わたしでさえうまく言語化できないこの感情を、かれらに理解してほしいなどと、かれらに伝えたいなどと思っていなかったということにも気がついた。ことばで捉えようとすると、どこかへ逃げて行ってしまうような、あいまいで鋭いそれらの感情を、仮にわたしが努力して語り、かれらに「分かるよ」という「やさしい」言葉を投げ返されたなら? わたしはきっと「あなたたちは何も分かっていない」「分かるはずがない」と怒っただろう。わたしにとってその出来事がどのように現れるのか、ということと、かれらにとってのその出来事がどのように現れるのか、ということは全く異なっているはずだからだ。

ジョンヒョンがいなくなってしまったことについて、結局なにも整理をつけられずにいるが、たぶんそれを整理したいとは思っていない。整理されることのない彼の不在について考えることや語ることにむしろある種の心地よさすら感じている。彼の不在を語ることは、彼の不在を認めることであり、かなしみや痛みが伴うけれど、そのかなしみや痛みがいつまでも自分のそばに居ることに、どこか安堵に似たような感覚もある。傷があること、かなしみや痛みがあること、それ自体が彼とつながるひとつの手段だとすれば、彼の不在によって喚起されるさまざまな感情を通して、わたしは彼の実在を感じているのかもしれない。

おわり