桐山照史が関西弁で舞台?しかも鄭義信作品!?という軽いノリで観に行ったら、ロミジュリというよりかはパッチギで、時代背景とか歴史とかを知っているのと知らないのとでは見える世界が全然違うだろうなと思いながら、細かい演出やちょっとしたセリフに心臓めった刺しにされて死ぬほど泣いた。
あらすじ(公式サイトより引用)
戦争が終わって5年。港を擁する工場街ヴェローナ。工場から出る黒い煙と煤に覆われた鉛色の街。その街の空気をさらに不穏にしているのは、顔を合わせる度に揉め事を起こす2つの愚連隊”モンタギュー”と”キャピレット”だった。“モンタギュー”の元メンバーで、今は更正してカストリ屋台で働く奥手でまじめな青年ロミオ(桐山照史)。ロミオの親友で、喧嘩っ早くいつも問題を起こす張本人のマキューシオ(元木聖也)と、正反対に聡明で理知的なべンヴォーリオ(橋本淳)。3人はそれぞれに、今の時代や自分の境遇に悩みや閉塞感を感じていた。そんな日々の憂さ晴らしに3人が出かけたダンスホールで、田舎から出てきたばかりのジュリエット(柄本時生)に出会い、ロミオは人生で初めての恋に落ちる。しかしジュリエットはなんと、敵対する“キャピレット”のリーダー・ティボルト(高橋努)の妹だったのだ…!そんなことはお構いなしに燃え上がる2人の恋。ロミオは白頭山東洋治療所の店主で父親のような存在のローレンス(段田安則)に相談するが…。2人を取り巻く様々な人物と共に、街は大乱闘に巻き込まれていく…。
戦争が終わって5年ということは1950年、ちょうど朝鮮戦争が起きた年。ロミオがジュリエットに出会う前、モンタギュー愚連隊のヤツらが「俺たちに明日はあるのか?」と話しているときに「戦争が始まっちまった」というようなセリフがあったが、それはおそらく朝鮮戦争のことを指していたのだろう。
1945年、日本が敗戦国となり、植民地だった台湾や朝鮮半島の人々は解放された。強制労働や経済的な事情から日本に渡っていた旧植民地出身者(台湾や朝鮮)も多くが本国に帰ったが、「国に帰っても住む家もなければ耕す田畑もない人、そして日本ですでに生活の基盤を築いている人*1」は日本に残った。
モンタギューのヤツらが警官から「三国人」と呼ばれていたことや、マキューシオが警官の耳元で「ケェセッキ」と侮辱の言葉を吐いてボコボコにされていたことから、かれらは朝鮮半島にルーツを持ちながらも「帝国臣民」として育ち、そして「同じ国」だった日本に渡った1世、または、そのような人々のもと日本に生まれた2世なのだろう。
ロミジュリもとい日本人の少女と(在日)朝鮮人の青年のラブストーリー。『パッチギ』もそんな感じだったけど逆だったよなとか思ってNetflixで観て、パンフレットを読んでいたら鄭さんが『ウエストサイド物語』のオマージュと言っていたので『ウエストサイド物語』も観た。
作品 | 発表 時期 |
舞台 設定 |
詳細 | |
ジュリエットの家 | ロミオの家 | |||
ロミオとジュリエット(戯曲) | 1595 | 1300 | キャピレット 神聖ローマ帝国皇帝派 |
モンタギュー ローマ教皇派 |
ウエストサイド物語(映画) | 1961 | 1957 | ジェット団 プエルトリコ系アメリカ人1世 |
シャーク団 ポーランド系アメリカ人2世 |
パッチギ(映画) | 2005 | 1968 | 京都朝鮮高校 在日朝鮮人2-3世 |
京都府立東高校 日本人 |
泣くロミオと怒るジュリエット(戯曲) | 2020 | 1950 | キャピレット 日本人/内地人 |
モンタギュー 三国人/外地人 or 在日朝鮮人1-2世 |
青字は被抑圧層または階級が低い方。『ウエストサイド物語』だとどちらも移民の家で、警官だけがアングロサクソン、つまりは正当なアメリカ国民とされる階層。こうやって比較すると、『泣くロミオと怒るジュリエット』ではロミオが弱者のほうの出自になっていて、構造がちょっと違うことが分かる。
『ウエストサイド物語』でトニーが殺されたとき、マリアは銃を奪ってこう言う。
All of you! You all killed him! And my brother, and Riff. Not with bullets, or guns, with hate. Well now I can kill, too, because now I have hate!
あんたたちみんな!みんながトニーを殺したんだ!兄を、リフを殺した。銃弾や銃じゃなく、憎しみ(hate)で殺した。わたしにも殺せる、わたしも憎んでいるから!
鄭義信版ロミジュリは舞台を戦後にしたからか、死の理由が戦争に関連づく部分が多かった。ティボルトが死を願ったのは、彼が戦場ですでに人間として生きる希望を破壊されてしまったからだろうし、ジュリエットが偽の毒を飲まなければいけなかったのも、戦争で誰も信じられなくなった金貸しの執拗な取り立てがあったからだった。『ウエストサイド物語』をオマージュしていて、しかも在日の話だったら、両者の争いや憎しみ(hate)がなければ彼が死ぬことは無かった、と『ウエストサイド物語』と同じようなまとめ方をしてもよさそうなのに、何か思い入れがあったのだろうか。戦争がその究極のかたちということなのかな。
個人的にいちばん印象的だったのは最後の場面。かなしくて美しかった。人々が互いに殺しあうなか、牧歌的なゆったりした音楽が流れ、血のように赤い花びらが大量に降り注ぐ。舞台の奥から、純白のタキシードとドレスをまとったロミオとジュリエット、白装束に身を包んだティボルトとマキューシオが姿を現す。窒息してしまいそうな勢いで降り注ぐ花びらのなか、ロミオとジュリエットは静かにキスを交わす。
正直なところ、ロミオとジュリエットという名前を踏襲する必要はなかったのでは、と思うくらい鄭義信が濃かった(?)けど、名前がカタカナのままで日本名とか朝鮮名とかそういうものがパッと聞いてわからないからあえてそのままにしているのかなとも思ったり。
おわり