みつめる

観たもの、考えたこと、あれこれ

夏、東京

海も花火大会も行かなかったけど、今年の夏はめちゃくちゃ夏って感じだった。

フジロックに行って修行かと思うぐらい豪雨に打たれ、サマソニに行って真夜中に酔っぱらって友だちと踊りまくった。翌日、高校のときの友だちに会うために帰省してみると、酔っぱらっておおはしゃぎしていた自分とはある意味対照的に、友だちはみな着々とライフステージなるものを登っていて、同じ高校生だったはずの「わたしたち」が今では異なった何者かになってしまっているようで、びっくりして、困惑した。結婚する、新居に引っ越した、彼氏ができた。おお、一般的にいう生活というやつっぽい、みたいなことを考える。そこに優劣がないことを分かってはいるし、両者を異なるもの、対照的なものとして扱うのが正しいあるいは適切だと言い切ってしまうこともわたしにはできない。

地に足をつけて生活している友人たちと、目の前の楽しいことを追い求めてふらふらしているわたし、みたいな。わたしの生活もべつにそこまで享楽的なものではないけど、したいことだけを好きなようにしているのは間違いがなくて、何かを我慢したりとかが、あんまりない。行きたい場所に行くし、食べたいものを食べる。付き合いたくない姑との何かがあるわけでもない。そういえば仲良くしていた片親仲間の友だちは子どもを産んで地元に家を買った。東京にいても同じように生活はしているはずなのに、どういえばいいのかわからないけれど、東京にいると、地元で見るような、地に足ついた生活めいたものがなんとなく見えづらくなるような気がする。

8月の終わりはかが屋が出るお笑いライブに足しげく通っていた。8月30日、渋谷のBunkamuraのすぐ近くにあるユーロライブという劇場(あるいは映画館)で、テアトロコントという、コントと芝居がごっちゃになって上演されるステージを見た。仕事を少しだけはやく抜けて、スマホで検索した通りに渋谷の地下を歩いた。雑多な人たちがたむろする路地を抜けて、ラブホテルのそばを通り、ユーロライブにたどりつく。Bunkamuraには行ったことがあったけど、その奥の、ユーロライブがある近辺には行ってみたことがなかった。絵を描き終えたあと、きれいな色がまじりあって汚くなったパレットみたいな路地の雰囲気に、なんとなく胸がざわざわした。坂を下りて大通りに出てみると、高級ブランド店のウィンドウがキラキラとまばゆい光を放っている。さっきまでわたしが歩いてきた道は夢だったのだろうか、と思うくらいに、雰囲気が違う。歩いているひとも、全然違う。

「汚いクツで自由に歩ける渋谷は最高です!」

その日見たゆうめいという劇団による「残暑」という演目に出てくる台詞。物語の語り手であり主人公でもある田中祐希という地方出身の青年が、かつて片思いをしていた女の子と、銀座で10年ぶりに再会する場面。彼を見るなり、彼女は彼のクツが汚いことに言及する。それに対して彼は言う。

「汚いクツで自由に歩ける渋谷は最高です!」

さっきまでラブホテルが立ち並ぶ路地を歩いていた自分を思い出す。そして、いま一緒に仕事をしている人たちのことを思い出す。清潔でこじゃれた洋服を着て、清潔な顔立ちをした人たち。客単価が狂ったお店で、自分とそう年齢が変わらない先輩が初任給の手取りほどもする家賃の部屋に引っ越した話を聞いたのはつい2日前のことだった。

東京。好きでも嫌いでもないのは変わらないけど、まわりを忘れて、自分の実現したいこととか、自分の夢を追いかけるとか、そういうことをするにはたぶん良い場所なんだろうなと思った。テアトロコントの前の日にかが屋が出ていた速いビームという小規模なライブは、どこか青春っぽい雰囲気がただよっていて、その楽しそうな感じがちょっとだけうらやましくなったりもした。成し遂げたいことや叶えたい夢があって東京に来たわけではないから、そんなことを思うんだろうか。

なんだか妙に辛気くさいかんじになっちゃったけど、夏は楽しかったよ。

おわり