みつめる

観たもの、考えたこと、あれこれ

関ジャニ∞クロニクルで新年早々めちゃくちゃ不愉快になった話

めちゃくちゃわかりやすいタイトルをつけた。お正月、なんとなくザッピングしていたら偶然関ジャニ∞クロニクルのスペシャルが放送されていたのを見てしまい、その内容があまりにも不愉快で不適切だったので、こうやって三が日からブログを書いている。西武・そごうが出した女性差別についての広告が「何か言っていそうで何も言っていない」コピーと主題にちっともふさわしくない謎の写真によって、広告を打ち出した人々が問題の本質についてまるで考えていないことを露呈させてあちこちで議論を巻き起こしているみたいだけど、それでもあの広告は「女性に関する事柄について、何かしら考えていますというポーズを取ろうと考えた、あるいは取る必要があると考えた人たちがいる」という事実から生まれているという点だけで評価できるのではないかと考えちゃうくらい、元旦のクロニクルはお粗末な内容だった。ひどい言いよう。でもそれぐらいひどかった。

元日に放送された関ジャニ∞クロニクルのお正月スペシャルでは、「おひとりさま」という企画がその95%ぐらいを占めていた。ふだんの土曜日昼の放送では、メンバーの丸山くんが単独でロケに出かけ、ほかのメンバーはスタジオで丸山くんのロケVTRを見ながら、丸山くんの出題するクイズに答えたり、丸山くんの絶妙なコメントや行動にツッコミを入れたりする「ゆるい」企画だった。スペシャルでは丸山くんだけではなくメンバー全員がロケに出かけ、深夜の街で「おひとりさま」の女性に対して、とても個人的な質問をぶしつけに投げかけるというような企画になっていた。

何が問題か。

深夜ロケがダラダラと続くだけで緩急がほとんどないこと、タレントの面白さを生かしきれていないこと(過去のクロニクルの他企画と比べて)、安田くんの体の状態に対して適切とは言い難い企画であったこと、タレントを侮辱することで笑いを取る時代遅れのスタンスを平成も終わる今もなお取り続けていること。文句をつけようと思えばいくらでも出てくるような気もするが、わたしが最も問題だと思ったのは、スペシャルで放送された「おひとりさま」が女性を「モノ」として扱う企画であり、さらに、番組に出演しているタレントもスタッフもそのことにまるで自覚も疑問もないことである。

そもそも、どうして「おひとりさま」は「女性」でなければならないのか。深夜に出歩いている「女性」はきっと「ワケあり」だから、面白いコンテンツになりうると考えたのだろうか。そこに「男性」が含まれていないのは、「男性」が深夜に出歩いているのはとりたてて珍しいことではなく、面白みがないからなのだろうか。では、どうして「男性」が深夜に出歩いていることは珍しいとされないのに、「女性」が出歩いているとそれは「珍しい」とされてしまうのだろうか。それを考えたことのあるスタッフやタレントはあの番組内にいるのだろうか(いないからこういう企画が全国放送枠で垂れ流されているのだと思うが)。

また、深夜にひとりで歩いている女性に対し、走って追いかけて一方的に声をかけることの暴力性や、女性がそれらの行為から受ける恐怖感についての配慮も全くない。丸山くんがひとりでロケをしていたときには、正直わたしもそれらの行為にそこまで「恐怖」を感じていなかったが、スペシャルではびっくりするぐらい取材対象となった女性たちからの警戒や恐怖を感じとってしまった。これはわたし個人の観点が変化したということもあるが、「拉致」を彷彿とさせるような大型の車が使われていたこと、取材をするのがひとりではなくふたり1組だったことも関係しているかもしれない。深夜にあまり人通りのないところをひとりで歩いていると、突然近くで大型バンが止まる。かと思えば車から降りてきた数人の男性が猛然とこちらに向かって走ってくる。ホラーかよ。わたしだったらめっちゃ走って逃げる。

さらに驚いた、というか失望したというかドン引きしたのは、取材を警戒する女性たちの様子を見て、「さらわれるやつやん」などと笑って自分たちの行為を茶化した大倉くんのコメントだった(スタジオでVTRを見ていたとき)。たとえそれが「テレビ的には正解」であっても、わたしはそのコメントに思い切り眉根を寄せてしまった。コンサートでたっちょん!とはしゃぐわたしと、あの放送を見て不愉快になったわたしとで分裂しそうになった。前々から関ジャニ∞のメンバーの女性に対する考え方(というかジェンダー観全般)の部分で笑っていられないものはあったけど、ここまで来ると閉口してしまう。「きれいな人や!」と「無邪気に」取材対象を決めて女性を追いかける横山くんの姿もなかなかキツいものがあった。

そして、放送中一貫して、関ジャニ∞のメンバーたちは深夜の「おひとりさま」女性たちに個人的な質問(彼氏はいるのか、結婚はしているのか、子供はいるのか、など)を不躾に投げかけていた。親しい間柄ですら個人的な質問は躊躇するのに、むしろそんな質問を「無邪気に」投げかける人のほうが失礼とされるような考えが一般的になりつつあるのに、いつまでこんな古臭くてカビたような問答をするんだろうと見ててつらくなったりすらした。カレンダーを集めることが趣味だという女性に大倉くんが「結婚してる?」と聞いたとき、女性は「そんな質問はしないほうがいい」と優しく拒絶してくれていたにもかかわらず、大倉くんは続けて「彼氏は?」という質問を投げつけた。そして、個人的な質問への返答を拒む女性の反応に、「強がりなのか何を聞いてもはぐらかす」という意味不明で強引で失礼極まりないナレーションを入れるスタッフ。質問をした大倉くんも大倉くんだし、編集をしたスタッフもスタッフだけれど、ああ、こういう人たちが作っている番組なのかと、あまりの時代錯誤っぷりに呆れてしまった。結婚をする人もいれば、しないことを選択する人もいる。恋人がいない女性はみな彼氏がほしいと考えているわけでもないし、もしかしたらそれは彼氏ではなく彼女かもしれない。そもそも自分は女性や男性に当てはまらないと考える人だっている。

2018年。世界は少しずつ変わりつつあるかもしれないと期待したり、あまりの変わらなさに絶望したり、どちらの感情も抱いた1年だった。#metoo運動によって、モデルやタレントして活動する女性たちや一般の女性たちのさまざまな経験や告発が日の目を見た。一方で、財務省次官による女性新聞記者へのセクハラ(しかもめちゃくちゃ気持ち悪いやつ)があったり、多数の医学部におけるあからさまな女性差別(幼稚な言い訳付き)が明らかになったりした。わたしは「女性」という集団に属するとされるひとりであり(という曖昧な表現を使うのは、わたしが構築主義に傾倒していてカテゴリーなるものに嫌悪感を抱くからでもあるが、クィアトランスジェンダートランスセクシュアルについてわたし自身がまだきちんと考えられていないと認識しているからだ)、2018年にあちこちで取り上げられて議論された女性差別に関する問題たちを他人事だと切り離すことはできなかった。そして、「女性」をジャッジする「誰か」の眼差しを自らも内面化していることに色んな場面で気がつくようになった1年でもあった。(同時に、そのような眼差しが推奨される場所に身を置いてはいなかったことにも気がついたけれど)(それは幸いなことだった)そんな1年を経てから見たクロニクルだったから余計に参ったのかもしれない。

ツイッターでもいろんな意見が飛び交っているが、取材に応じてくれていた女性たちへの誹謗中傷もちらほらあってやるせない気持ちになる。ランニング中で取材を拒否した女性に対して「ババア」と言っている若い女の子とか。みんないずれはそのババアになるんやから、何かしらのかたちで悪口言いたいんやとしてもそれは使わんほうがいいと思うで、みたいな気持ちになってしまう(書くの疲れて半分ぼやきみたいになってきてる)。自分に呪いをかけるような言葉は使うまいと決めた2018年だったから、他者への呪いで間接的に自分に呪いをかけてる人を見るとつらくなっちゃう。余計なお世話かもしんないけど。

とにもかくにも、無謀な願いかもしれないけれど、関ジャニ∞および制作陣のみなさまにおかれましてはその昭和の煮凝りみたいな価値観をはやいことアップデートしていただきたい。多忙すぎて情報を仕入れたり見識を広めたりする暇がないのかもしれないし、特に制作現場にいる人たちはもう労働環境がひどすぎてそんなことを考えるゆとりすらないのかもしれないみたいなことも考える。けど、そんなことは業界の経営者たちが考えるべきことであってわたしが悩むべき問題ではない。

ほんとムカムカする番組だったな(律儀なので番組へのメッセージもきちんとお送りした)。ずっと考えて文章にするの、楽しくはなかったけど、自分がひっかかることやイライラすることをきちんと考えて文章に起こすことが今年の目標のひとつでもあるから、幸先の良いスタートを切った、ということにしたい。(無理やり)

おわり

 

1/4 追記

関ジャニ∞というグループ、また、各メンバー個人に対する誹謗中傷の材料としてこの文章が利用されているというコメントをいくつか頂いたので、追記します。

ある人物が、その人物について語られた一側面のみで、全人格を否定されることは、不当だと考えています。文中に大倉くんと横山くんの名前を挙げ、彼らの言動に対する違和感を綴りました。しかし、だからといって、ここに書かれた数行の文章だけによって、彼らという人間がまるごとジャッジされたり、誹謗中傷されたりすることを、わたしは望んでいません。また、この文章を根拠として関ジャニ∞というグループが中傷されることも望みません。

個人の言動に対する批判(今後の改善をのぞむもの)と、個人の人格に対する誹謗中傷(攻撃的で悪意のあるもの)は別物です。誹謗中傷のためにわたしの文章を利用することはかたくお断り致します。

色々としんどいときに、笑わせてもらえたり、力をもらえたりした人たちが、悲しくなってしまうぐらいにダサいことを無自覚のままに続ける姿を見ていられなくなったという考えもあって書いた文章です。彼らをこき下ろすために書いた文章ではありません。