みつめる

観たもの、考えたこと、あれこれ

180205 PARAMUSHIR@森ノ宮ピロティホール(夜公演)

孤独だった。こんなに孤独で、物語の中に入りたくても入ることができない舞台は初めてだった。すすり泣きと爆発音が響く中で、わたしは首をポリポリと掻いていた。

それほど多くの舞台を観ているわけではないし、これまで観てきたものに、たまたまわたしのこころを揺さぶる作品が多かっただけのことかもしれない。3年前の本公演から今回の『PARAMUSHIR』までに観たNACS関連のお芝居は『日の本一の大悪党』『DISGRACEDー恥辱ー』『モテリーマン』。2017年はジャニーズが出るお芝居を観る機会が多く、『妄想歌謡劇 上を下へのジレッタ』『俺節』『すべての四月のために』の3本を観た。個人的にいちばん好きだったのは『妄想歌謡劇 上を下へのジレッタ』で、関心に引っかかってうんうん考えることになったのは『すべての四月のために』。NACSの本公演の話なのに、ここ数年で観たお芝居の話を書いておくのは、わたしはこれだけの作品しか観ていないということを示して、ある意味「言い訳」をするためでもある。

NACSが好きな、今回の『PARAMUSHIR』が好きな方にとっては、気分を害すような内容を書くことになるんだろうと思う。だけど書かずにはいられなかった。わたしはこの舞台を全く楽しむことができなかった。けれど、これほどに、しんどくなってしまうほどに、うんうんと考えさせられてはいるので、そういう意味では意義深い舞台だったのだろう。以下は個人の感想であり、『PARAMUSHIR』をこき下ろそうとかいう意図はないことを明記しておきます。

 

3年ぶりの本公演。ポスターが公開されたとき、ざっくりとだけ書かれたその文章にわたしはいくばくかの不安を抱いていた。

 

1945年8月15日。
この日、日本は無条件降伏を受け入れた。

しかしその後。
突如としてソ連軍の大部隊が、
武装解除した孤島に攻め入ってきた!

気持ちをもう一度奮い立たせ、再び銃を持つ兵士たち。
彼らが立ち上がらなければ、北海道は二分されていたかも知れない。

日本最後の戦いの司令部があった「幌筵島」。
私たちはまだ、その島の名前さえ知らない。

 

PARAMUSHIRをはじめて観たのは2月3日の初日だった。胸をおどらせたのはオーブニングの数分間で、そのあとは、静かな孤独のなかでぽつんと、他人事みたいに舞台を眺めるだけだった。舞台上にいるかれらとわたしとの間に、共有できる何かを発見することができず、わたしには、舞台で繰り広げられるなにもかもがうすっぺらくて、つまらないものに見えた。たった2時間のお芝居だったにもかかわらず、何度も座る姿勢を変えた。すすり泣きが聞こえる会場に、こんな舞台で泣ける人がこんなにいるのかと驚き、同時に、この舞台を見て涙する人々がいること自体になぜか泣き出しそうになり、つまらないとしか思えない自分が、舞台の上にいるかれらの気持ちをどうしても共有できない自分が、とてもかなしくなった。これは、わたしの知識や経験、他者となにかを共有するセンスが欠けていたからなのかもしれない、と考えたりもした。終演後、毎日のように感想の検索をして、わたしのようにこのお芝居を楽しめなかった人はいなかったのか、と探してみたけれど、泣いた感動した最高だった友達にも勧めたいという文字列が並ぶだけで、やっぱりわたしはひとりぼっちだった。だけど、わたしが痛いと思えば、他者が何を言おうとそれは痛いのだから、そんなことは気にしなくたっていいのに、という思いもあった。だから、いま、これを書いているわけだけれど。

最初から最後まで、伝えたいことが見え透いていたとでも言えばいいのだろうか。登場人物たちの物分かりの良さがこわかった。わたしにとって、登場人物たちはひとりの個人というよりも、「占守島(シュムシュ)で北海道のために戦った兵士たちがいた」というメッセージを伝えるためだけに中途半端に成型された人形のように見えた。途中で、かれらに血が通ったかと思った瞬間もあった。だけどそれはすぐにくつがえされる。わたしにはかれらが理解できなかった。

戦場で死んだ山下の幻をつくりだし、その幻をつかって、戦場で怯んでしまう自分自身をいつまでも呪った矢野整備兵は、どうして、あのタイミングで自分自身を「許す」ことができたのだろう。だれよりも家に帰りたいとごねていた水島軍曹はどうして突然「おれたちは未来のために戦うんだ」と言い出したのだろう。自分が撃ったソ連兵がまだ子どもだったと独り言のようにつぶやいていたかれは、その舌の根も乾かないうちに「突撃!」と叫んでソ連兵に突っ込んでいくことがどうしてできたのだろう。なによりも、「人を殺す」という行動を支え、正当化する唯一のイデオロギーだった「戦争」というものが終わったことは、戦場で「人殺し」をはたらいていた彼らにとってどのような意味を持っていたのだろうか。あれほどあっさりと容易く飲み込めてしまうものだったのだろうか。当時だったらあり得たのかもしれない。シャボン玉みたいに絶えず浮かんでは弾けるこれらの問いは、わたしの戦争に対する圧倒的な知識不足によるものなのかもしれない。

作品全体をつらぬくメッセージに反しないかたちで、かれらは唐突に前向きになって笑った。それは予想していた通りであったけれど、同時に、わたしがかれらひとりひとりのなかに見出していた物語に照らし合わせると理解ができなくて、どうしようもなく混乱した。何もこちらの予想を裏切って欲しいというわけじゃない。あの舞台にはメッセージしかなかったように感じられたのだ。わからない。考えれば考えるほど混乱する。唯一面白いと感じたのは、占守島で5人がだらだらとじぶんの身上話を語り合う場面だった。あの場面では、かれらひとりひとりが、決して人形ではなく、リアルな人間としてわたしのまえに浮かび上がってきた。だからこそ、そのあととの落差にギョッとさせられるのかもしれない。考えても考えてもわからない。あるいは、わたしは戦争あるいは死というものをあんなふうに「美化」してほしくないという想いを持っているのだろうか。死ぬ間際をあんなふうに「さわやかに」「うつくしく」描くことに抵抗があるのだろうか。まるでかれらがヒーローとでもいうかのように。かれらは「北海道を守ったヒーロー」だったのだろうか。そう捉えることは何を意味するのだろうか。自身の命も顧みず、だれかを守るために死に身を投じた勇敢な兵士たちとしてかれらを描き、人々がそれに涙することは、何につながるのだろうか。

歴史学で歴史というものがどのように捉えられているのかはわからないが、わたしは、「歴史」とは過去に「存在した」何かではなく、「語られる」ものだと考えている。どのように「語られる」かで、歴史はいかようにも変化すると考えている。『PARAMUSHIR』という作品のなかで「語られる」歴史は、わかりやすい。そして、わかりやすさをより強化するために、取ってつけられたような中途半端に複雑な部分があちこちに散らばっていた。

たぶん、この作品への違和感は、数ヵ月前にジョンヒョン(昔から好きなアイドルグループのメンバー)が自死したこと、それによってわたしが自分でも困惑するほど大きな衝撃を受けたという経験も影響しているのだろうと思う。「死」を扱えば、安易に「泣ける」作品が出来上がる。途中経過がどのようなものであれ、誰かが死ねば人は泣く。けれど、現実に存在する「死」そのものと、それがもたらす影響は、決して単純なものではなければ一筋縄でなんとかなるようなものでもないのではないか。なにより、「死」とは、他人が「気持ちよく」消費できるものではないのではないか。たとえそこに「悲しみ」が存在していたとしても。すくなくとも、わたしはそういうようなことを考えている。

こういう感想文を書くといつもまとまらない。わたしのあたまのなかがまだ混沌としているから当たり前なんだけれど。作品を楽しみたかった。大好きなNACSのおじさんたちの待ち望んだ公演を楽しみたかった。でも、『PARAMUSHIR』は、NACSのおじさんたちが演じているから2月5日も観に行ったようなもので、もう一度お金を払ってまで観たい舞台とは、とうてい、思えなかった。好きな人たちが作るものを好きだと思えないこともまた、かなしい。