みつめる

観たもの、考えたこと、あれこれ

210630 SUPER EXCITED / GREAT MEETING 60@新木場コースト

2年ぶりくらいのペトロールズ。2020年2月に同じく新木場コーストでヒョゴを見て以来、1年半ぶりくらいのライブ。最低でも月に1回は何かしらのライブを見るみたいな生活を長く続けてきたし、留学のときでさえ無理くり現地のライブハウス探して見に行ったり一時帰国の間にライブを詰め込んだりしてたから、こんなに長い間ライブに行かないのは、ほんとに高校を卒業してからはじめてだったんじゃないかと思う。去年の3月以降、配信ライブもいくつか見たけど、やっぱりその場に体を置いて、五感をまるごと浸して音楽を体で受け止めることと、家で区切られた画面を見ることは全然違う。ほかのアーティストのもいくつか見たけどヒョゴがとりたてて印象的で、テレビで見るヒョゴの配信ライブはもちろん良いのだけど、これまでライブで見てきたヒョゴのすばらしさというか、泣き出してしまいそうなくらい圧倒される音も色も雰囲気みたいなものがそこには存在しなくて、パンデミックのさなか、ライブと配信ライブって全くの別モノなのだとしみじみと痛感していた。

そして、久しぶりのペトロールズ。久しぶりのライブハウス。いつもと同じように開演10分前くらいに入場すると、いつもよりドリンクカウンターがすいていてなんとなくソワソワ。会場に入るとぎっちり詰められたパイプ椅子に人がずらりと座っていて、ひと席あける、なんてこともなかったから、感染対策的にこれで良いのか?と思ったりはしたものの、いつもと同じくらいの場所に席を見つけて腰を落ち着ける。

そのうち暗くなってメンバーが出てきて緊張しながら見守ってると、しんとした空気に音が響きはじめて、体にどんと音の波がぶつかった感触がして、その瞬間、うまく言えないけど泣き出しそうになるくらい嬉しかった。ドラムとベースとギターから発せられる音の波が、耳からだけじゃなくて空気を介して体そのものに響く感じ。そこに音楽があることが分かる感じ。1年半ぶりくらいの音楽に感動してうわー!!!ってなってたけど声は出せないからマスクの中でひとりずーっとにこにこしてた。

fuel/止まれ見よ/shape/アンバー/kamone/sekkinsen/talassa/profile/雨/tanoC

ホロウェイ/表現

18:40くらいに始まって20:00には終わってたからアンコール入れて1時間半にも満たないコンパクトなライブだったけど、久しぶりに聴くペトロールズは相変わらずバチバチにカッコ良くて心の底から楽しかった。止まれ見よでのボブさんの邪悪なドラムよ!ホロウェイと表現での長岡さんの邪悪なギターもめっちゃよかったな。ギュインギュイン言わすやつ。表現ってかわいくておしゃれでポップな曲で飛び跳ねちゃうくらい大好きなんだけど、今回は邪悪なアレンジgあ入っててs楽しさと新鮮さと気持ちよさでどうにかなりそうだった。前からあんな邪悪なアレンジあったっけ? あといまさらな発見だけどtanoCって最後らへんめっちゃEDMの構成なんだなあと思ったり。電子音っぽいボブさんの謎機材が好き。(機材のことひとつも分からない人間)

お客さんも喋れないからMCの間も拍手だけであとはしんとしてたけど、長岡さんが「静かですね、いつも通り」っていじってておもろかったなあ。東京で見るペトロールズのライブほんとにいつも静かだけど。今回も変わらない静けさ。

最後のMCだったかな、アンコールかな? ボブさんが、「盛り上がってるかー!?って聞いたらうんうんって無言でうなずくのやってほしい」みたいなことを言って、その流れをひと通りみんなでやるという謎時間。ボブさんが「お前たちィ~、盛り上がってんのか~!?(若干NACS森崎さんっぽい)」って言うときに全力で吐息まぜてくるからめっちゃ笑ったな。しかもジャンボさんもそれに乗っかって「お前たちィ~!」ってやりはじめたもんだから手叩いて笑っちゃった。ジャンボさん歌ってるときに唾飛ばしちゃうんだよなーって話してるときに長岡さんが「雹みたいだもんね」って言ってたのもだいぶよかった。

「またライブやりたいですね。ペトロールズは空気がないとダメなんで、配信じゃダメなんで」ってどこかで長岡さんが言ってたんだけど本当にそうなんだよ。もちろんペトロールズに限らないけど、音楽をただ自分の部屋で聴くのと、こういうライブハウスとか、野外フェスとか、そういう空気があるところ、振動が届くところ、五感をぜんぶまるっと預けられるところで音楽を聴くのとは似ても似つかない経験なんだって、めっちゃ久しぶりにライブに行って本当に痛感した。はやくコロナ終わってくれ。ライブのある生活に戻してくれ。

アンコールも終わって、最後の最後。いつものように客席へ投げキッスして帰って行こうとする長岡さん。振り返った長岡さんのうしろにいたから投げキッスを食らわないように避けるボブさん。それを見てボブさん目掛けて投げキッスをしようとする長岡さん。戸惑うボブさん。幼馴染コンビほんとにほのぼのする。

次のツアーも行くぞ!ワクチン打ったら夏フェスにも行っちゃおうかな!?!?

おわり

2月28日の日記

2月が終わる。春がすぐそこまでやって来ている気配がする。

ひたすら英語の勉強してた1か月だったような気がする(そのわりには上達してないけれど)。週に2回おしゃべりする英語話者のひととのセッションがおもしろくて、ついつい時間を超過して話してしまう。彼女の第一言語母語が英語じゃないからこそ、彼女が欧米出身じゃないからこそ話題にできることがあって、そして、それらについての彼女の考えを聞くのも楽しい。植民地ネタが身近、と言うと変だけど、世代をさかのぼるとひいおじいちゃんぐらいはその渦中にいたひとだから、この人大丈夫そうだなと思ったら会話のなかでそういった話を笑えるネタとして披露してしまいがち。ちゃんと見極めるという段階を踏んでいるので、たいていは笑いが起きるけど、ごくまれに変な空気になることもある。幸い、彼女はそれが通じるタイプのひとで、お互いにたいそう盛り上がってすごく楽しかった。なんだかんだで毎回準備するのは大変だけど、来月以降も休まずになんとかちみちみ続けていけたらいいな。

そういえば、ものすごく久しぶりに大学の友だちとオンライン飲み会をしたりもした。久しぶりに顔を見て話したけど、やっぱりみんな大好きだなあ、みたいな気持ちになって、つくづく好きのハードルが低いなと思うなどした。

みんなまともじゃないんだけど、そのなかでいちばんまともっぽい顔をしてまともっぽい職業についてるのにまともじゃない人間がいる。(「まとも」ってそもそも何よ、という話になるけど、一般的に現在の社会で受容されやすい主義志向を持った、特異な目で見られない、とでも言いかえればいいだろうか?)言及すべき奇妙な部分など持ち合わせていない人間です、みたいな見てくれをしているくせに、突っつくとクセが強くて根っこも深めの思想がズルッと出て来るひと。前からずっとおもしろいなと思ってたけど、今回もまあおもしろかった。わたしなんかより考えて考えて考えまくるひとだから、がっつり議論や対話をするとなったら相当の体力が必要になりそうだなあと思いながらも、友だちの持つ知性が羨ましかった。たまにある、「あなたが知っていることを全部知りたい」みたいなやつ。

別の友だちと「好き」にもいろいろあるよね、という話をしたけど、自分のなかにある「好き」のうちいちばん奇妙なのが「丸呑みしたい」に似た感情だ。たぶんちまたで言うサピオセクシュアル/サピオロマンティックみたいなやつなんだろうなと思うけど。

今月は全然本読めなかったし映画もあんまり見れなかったな。来月はたくさん読んでたくさん観よう。

新しい発見だった音楽たち。今年はタイポップもちゃんと掘りたいな~。


どんぐりず - NO WAY


CIX (씨아이엑스) - Cinema M/V


FEVER - NGLMD「Official MV」

おわり

1月14日の日記

3年とひと月足らず。私はもうすこしで彼を追い越してしまうのかと考えると妙な気分になってしまう。自身が死ぬことよりも老いや病に対してのほうが実感のある恐怖を感じていたけれど、同じように老いていけることは幸せなのかもしれない。同じ速さで年齢を重ねられること。追い越したくないよー。

2019年の終わりに観た「カリギュラ」がきっかけで、2020年はカミュをひと通り読んだ年だった。パンデミックのさなか、死亡者が「数字」として計上され読み上げられるニュースを見ながら、漠然と「死」について考えることも増えた。自分でも変な感覚だなと思うけれど、誰かがいなくなってしまうことには耐えられなくても、自分がいなくなってしまうことについては「解放」だと考えていることに気が付いた。常日頃から厭世的な傾向があるわけでもないし、むしろ熱血理想主義っぽい方だと思うけど、この世界から自分という存在がまるっといなくなってしまうことに対して、リアルな恐怖は感じない。気がしている。

カミュの著作のどれだったか、わたしたちは生まれた瞬間から死刑宣告を受けているのだ、というような文章があった。そうなんだよな。去年の年末のロンハーでハナコの菊田さんが唐突に「人っていつかは死ぬじゃないですか」と言って、だから仕事ばかりじゃなくて家族との時間とかを大事にしたほうが良いと思うという話を始めたときにもそのことを思い出した。だからって刹那的に生きているわけでもないし、将来のことであれこれ考えたりもするけど、なんだろう、一種の諦念がある感覚。諦念があると感じているだけで、いざ本当に三途の川を渡りますよとなったら嫌だ!怖い!となるのかもしれないけど。

自分の感じていることや世界と自分との関わりあいを解釈したり考えたりすることを止められないから、そういった事柄から「解放される」と感じるのだろうか。いろいろ思い浮かべてみて、3年前の冬にいったん「終わった」感覚があるのかもというところにたどり着いた。次の日の朝に窓を開けたときの空のよそよそしい青さに困惑して、彼がいなくても知らん顔して動き続ける世界に意味なんてあるのだろうか、なんてことを考えたりしていた。いったん終わってしまっているんだからもう1回終わろうが別に大したことじゃない。みたいな感覚から来てるのかもしれない。

特に憂鬱でもないのに憂鬱っぽいこと考えがち。いろんなことを言語化すると楽になるので言語化を止められないけど、過度な言語化もなんかよくない気がしてきた今日この頃。小学校3年生のときから日記書いてるから今さらもう無理か。(ちなみにアンネの日記に感化された)(単純)

冬はまだまだこれからなので心身ともにあったかく健康に過ごそう。

おわり

 

2020年好きだったもの

今年は初めてのぼっち年越しなのでこんな記事を書いてみる。今年好きだった本と音楽と映像作品。

 

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チョン・セラン 『アンダー、サンダー、テンダー』

平凡な毎日の中に溶け込んだ絶望や狂気が淡々と描かれていて、読んでいるうちにゆっくりと具合が悪くなっていく感じがすごく好きだった。すっかり日常生活に馴染んでしまっている性差別が顔のないモブキャラくらいの立ち位置で、だけどそれがありありと分かるようにきっちりと描きこまれていて舌を巻く。今年読んだのじゃないけど『フィフティ・ピープル』も好き。

 

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荻野美穂 『ジェンダー化される身体』

気合入れなきゃ読了できなさそうと思ってしばらくほったらかしにしてしまっていたものの、読み始めたら想像以上におもしろくてのめりこむみたいにして読んだ。産めるからだを持つことそれ自体を知る必要があるし、そのことについて考える必要もあるけれど、だからといって「女」のからだであることが何か特別な不思議な力と結びつくわけではない、というようなこと。Bodies, that matterじゃないけど、フェミニズムを考えるうえでも日常生活を過ごすうえでも、「からだ」の重要さを感じ入った2020年だったのもあってとりわけ印象的だった1冊。

 

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HYUKOH 『Through Love』

まだパンデミックの気配がほとんどなかった頃に出たヒョゴのアルバム。ボサノヴァっぽいイントロで始まる1曲目のhelpが特に好き。今年はワールドツアーの予定もあったのに新型コロナの影響で台湾以降はキャンセルになってしまったのが残念。東京は2月後半、なんとか滑り込めてよかった。ヒョゴのライブはこれまでにも何回か行ってきたけど、なぜか人類愛みたいなのを感じて「かれらの音楽を直接聴くことができる時代に生まれて良かった」という気持ちになって泣きそうになってしまう。演出の効果かしら。またライブ行きたい。

 

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Alfie Templeman 『Happiness In Liquid Form』

Spotifyでいろいろ漁ってるときにたまたま見つけて衝撃を受けた天才。寝る前の電気を暗くした部屋でパジャマ着たまま好きに踊りたい感じ。ちょうど良い具合にドリーミーでメロウでディスコ。誇張なしに全曲好き。これでまだ17才というから末恐ろしい。日本に来たら絶対ライブに行きたい。

 

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TOMORROW X TOGETHER 『minisode1:Blue Hour』

1曲目のGhostingがいちばん好き。今どきのK-POPっぽくないというかいい感じにシューゲイザーバンドっぽくて、それがとても新鮮で心地良い。一時期スーパーカーにドはまりしていたのもあってかドンピシャ。2曲目のBlue Hourも好き。きらきらディスコポップ。

 

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Alice Wu 「the half of it」 (ハーフ・オブ・イット: 面白いのはこれから)

同じ映画何回も観るほうじゃないけどこれは好きすぎて3回観た。たいていの作品では異性愛が自明とされていて男女ってだけで意味もなく恋愛に収束しがちだけど、この映画はそれに対してNOを表明しているのが好きだった。そんな行動は馬鹿げていると思っていても、現実にそれが起きたときには深く心に刺さることもあるのだということも描いてるシーンがあって、それもすごくすごく好きだった。あとキリスト教の存在感が印象的。それにしても今年は郊外で高校生活を送るアメリカのティーンの映画ばっかり見てたな。

 

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今泉力哉 「his」 

ところどころ棒読みの人出て来てびっくりするけど、なんというかムカつくところがない同性愛の映画だなと思った(マイノリティに位置づけられている人々を「主題」として取り上げる作品を観るときはどうしてもムカつく/ムカつかないで判断してしまう)。離婚裁判のパートの描き方は「マリッジストーリー」を髣髴とさせる。裁判をより有利に進めるために本来言いたいわけでもない言葉をぶつけあう苦しさ。ひとりの人物を全面的に悪人にするわけでもなく善人にするわけでもなく、リアルに緻密に描くこと。某BL原作映画が個人的に最低だったので(ミソジニーが煮詰まってた)この映画の存在自体が救いでもあった。

 

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椿の花咲く頃

日本では「愛の不時着」や「梨泰院クラス*1」が話題になってたけど、今年イチの韓国ドラマはダントツでこれ。自己卑下ばかりでうじうじしてる主人公のトンベクが、ヒョンシクと関わる中でだんだんと胸を張って好き勝手やるようになっていく、その一筋縄ではいかないプロセスが丁寧に描かれているのがとても素敵だった。女たちの対立と連帯を時系列に沿って丁寧に描いているのも好き。ラブコメでもあり、スリラーでもあり、というのも新鮮だったかも。(怖い演出が苦手なのでスリラー展開のときはドキドキしながら見てた)

 

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MIU404

ハマりすぎて毎週金曜日はうどん食べてた。プロデューサー新井順子、脚本野木亜紀子、監督塚原あゆ子のタッグが最高だったドラマ。シンプルにおもしろいし、なにより「今」なトピックがこれでもかと詰め込まれている。映像の暗喩も楽しい。日本語学校/実習生の回はカタコト日本語*2と「かわいそうな他者」としての外国人の描き方に拒否反応示しちゃったけど、いろんなことを考える出発点にもなりうるドラマだったなと。

 

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POSE

「ミッドナイトスワン」におけるトランスジェンダーの表象のされ方と役者のキャスティングに批判の声があがったときに「disclosure(トランスジェンダーとハリウッド:過去、現在、そして)」と一緒に名前が出ていたドラマ。このドラマを見るまではボール・カルチャーを知らなかったし、マドンナの「Vogue」との順番もよく分かってなかった。ボールはごきげんでカッコよくて見てるだけでめちゃめちゃアガるけど「最下層」の現実もちゃんとつきつけられる。ヴォーグカッコいいし音楽もずっと最高。あと身長高くてごつい女が堂々としてるのがラブ。

 

紅白見ながら書いてたら23時過ぎてしまった。ギリギリ。希望はあんまりなさそうな気もするけど、来年はイベントとかもぼちぼち行けるようになるといいな。

おわり

*1:関係ないけど父親探しに韓国に来た人(セロイたちから「外国人」と位置づけられる)がずっと「自分は韓国人だ」って言ってるのに、それが何も解決されないままなぜか最終的に英語で接客するようになってハッピーエンドみたいになってるのずっと納得いってない。

*2:実際にベトナムにルーツがある方を起用していたのはすごく今だなと思ったけど、一般的な日本語の教科書使ってたらそんな発話の仕方にはならないんじゃない?という喋り方、想像上の「外国人」っぽい喋り方をしていてちょっとげんなりしてしまった。

師走

2020年もあと20日くらいになった。新型コロナがあってもなくても変化が大きな1年だったなと思う。人とあんまり会えない分、去年や一昨年なんかよりずっとたくさんの本を読んだし映画を観た。自分の今の生活や将来のことをちらほらと考えたりもした。

今年のあたまにそれなりに大変な仕事を完結させて、新しい分野に飛び込んでめちゃくちゃ勉強して、全然合わない人と出くわして人と一緒に仕事をすることの難しさを考えて、自分にとって新しくもありなじみ深くもあることに運良く仕事として取り組むことができるようになって、そこで必要になった新しいあれこれをめちゃくちゃ勉強した。楽しい、もっと知りたい、って思いながら仕事に関わる本を読んだのは初めてかもしれない。参考文献から気になるもの関係あるものを見つけ出して片っ端からむさぼるように読むあの感じ。

久しぶりに母に電話して仕事の話をしたら、わたしの仕事内容を聞いて「行きたいわけでもない会社に行ったくせにやりたいことできてるじゃん!?」と母が吹き出した。なんだかこっちまで笑いが止まらなくなっていっしょにけらけら笑った。思えば大学もそうだった。別に行きたいわけでもない、というか当時は行くつもりがこれっぽっちもなかった大学に行ったのに、びっくりするぐらい夢中になって情熱を注げる対象に出会って、人生ですごくすごく大切な存在になった人たちにも出会った。不平不満を持ちつつも置かれた場所に適応して真面目に頑張っちゃうという奇妙な特性もあるのかもしれないけど、どうやらわたしには、自分に合いそうなことを扱う場所や自分を受け入れてくれそうな人たちがいる場所を探そうとするスタンスが備わっていて、そして、それをただ考えているだけじゃなくて行動に移すことができるすこしの勇気がある、ということが分かってきた。でもたぶん、うまくいったことの大部分はただただ運が良かったからなんだろうなとも思う。

やったことのないことや分からないことも山のようにあるし、そもそもやりたいこととうまく出来ることは違うこともある。この先どうなっていくのかはまだ分からないけど、今はただただひたすらに楽しい。わたしに期待してくれる人のもとで、わたしの能力を信頼してくれる人たちといっしょに、わたしにとってこれは意味があると思える仕事をできることってこんなにも幸せなんだなって思う。

今年読んでおもしろかった本とか映画とか、あとドラマもけっこう見たから、そういうの、またまとめてみよう。

おわり

ウゲェとの向き合い方

贔屓にしているひとたちの言動(や活動)に対して、ホモソノリやミソジニーやセクシズムがしんどい的な意味でウゲェとなってしまったとき、「ファン」としてそれとどう向き合うべきかについて、再びいろいろ考えてしまっている今日この頃。長くK-POP界隈うろちょろしてるけど、メンバーが契約のことで事務所と裁判沙汰になるとかはあっても、こういう変にもやもやするような問題にはあまり出くわしたことがなかった。K-POPはパフォーマンスだけ見るという選択肢が取りやすいからとか、ことばが違って細かいところまで知らないからとか、そもそもわたし自身の考え方がここ数年で大きく変わったから、といったようなこともあるとは思うけれど、ジャニーズ界隈をうろちょろするようになってから、ウゲェとなる機会が明らかに増えた。

ジャニーズのグループの「ファン」になるという経験をしたのはここ数年のことで、ファンクラブに入るくらいハマったグループは複数あったけど、今でもファンクラブに入っているのはひと組だけ。そのひと組がなんだかんだで続いてるのは、楽曲を含めたパフォーマンスや世界観が好きというのは大前提として、本人たちの言動がそこまでひっかからない*1のと、過去の経験から、活動を追っかけすぎるとウゲェの確率が高くなることを知って、つかず離れずで適度に距離を置いているからと思う。アルバムは買うしコンサートにも行くけれど、雑誌・テレビ・ラジオは基本的には見聞きしない、みたいなマイルール。

以前ファンクラブに入っていたグループは、トークやパフォーマンスもとても魅力的で楽しかったけど、わたし自身が仕事をするようになって日常的にウゲェとなる場面を見聞きしたり、その影響もあってフェミニズムをかじったりするようになってから、少しずつ違和感をおぼえるようになって、そのうちなんとなく疎遠になってしまった(もちろんほかにも理由はある)。

楽しい気持ちになりたくて見聞きしていたのに、唐突にウゲェな気持ちにさせられる。不意打ちのそれに面食らって、むかむかしたりもやもやしたりするけど、わざわざ騒ぎ立てるほどではないし、流してしまった方が自分も楽だからひとまず無かったことにする。しかしそれは不定期に、何度も発生する。また同じように、もやもやを無かったことにする。それが何度も繰り返される。無かったことにされたもやもやは、無くなることなく、心のどこかに澱のように少しずつ溜まっていく。

わたしと関わりのある大切で親しい人たちであれば、勇気を出して対話してお互いに理解を深めようといろいろ策を講じられるかもしれない。だけど、かれらはわたしの人生において結局のところは他人でしかなく、本当の意味での対話ができるわけではない(個人同士での直接的なインタラクションがない)(と、わたしは考えている)*2。そして、自分本位のすごくいやな言い方をすると、かれらが提供する以外にも娯楽はたくさんある。わたしは生活の娯楽としてかれらのパフォーマンスを見聞きしていたはずだったのに、その娯楽のせいで緊張して身構えたりときどきウゲェな気持ちになったりしている。それってふつうに考えたらすごく馬鹿らしいことなんじゃないか。ウゲェと感じている自分を無視してまで、その人たちを好きでいる必要なんかないんじゃないか。

浅瀬でちゃぷちゃぷとコンテンツを楽しんでいるだけなら、ウゲェとなった瞬間すぐに離れるという選択肢を選ぶことができる。だけど、アイドルとファンという「関係性」の真っただ中にいると、理屈では分かっていても実践にはひどい痛みが伴う。かれらを長く見聞きするうちに情がわいてしまって、かれらは明らかに他人でしかないのだけれど、自分にとっては「親しい人たち」のひとりになっていたり、ひとりの人間としてあこがれや尊敬といった特別な思い入れが生まれてしまっていたりする。そうなると、人間なのだからちゃんと正面から向き合わなくては、というような気持ちにもなってしまう。

そして、距離を置くことが賢明だとわかっていても、相手は対話できないとはいえひとりの人間で、人間を相手にいつでも一方的なさようならができるようにしている自分は、かれらを人間ではなく生活の嗜好品として扱っているのではないか。それは倫理的に正しいのだろうか。なんて考え込んでしまったりもする*3。娯楽は他にたくさんある、と書いている時点でもう駄目なのかも。でも、わたしには自分の健康や生活、身のまわりにいる人たちと過ごす時間の方が大切だから、そうするしかないのかも、とも思う。

ちょっと前まではひとりでウゲェとなって流していたようなことでも、ここ最近では、ファン自らが言葉を選びながら批判の声を上げるようになってきた。倫理的におしまいなコンテンツには「それはもう面白くないですよ」と伝えたほうが優しいと思うけれど、本当の意味での対話が難しい「個人」に対して「こうあってほしい」「こうあるべき」と声を上げるのは、たとえば女性アイドルへの恋愛禁止規範に見られるような、ファンによるアイドルへの「信頼」という名の「脅迫」と表裏一体なんじゃないかと思ったりもする*4。個人の信念や価値観ではなく、あくまでコンテンツや業界の構造に焦点を当てるかたちで声を上げればいくらかはマシなのだろうか。分からなくて、結局またぐるぐるしてしまう。

ジャニーズもだけどお笑い界隈をうろちょろしてたときもウゲェに出くわすことが多かった。アイドルとアイドルのファンほどには関係性に焦点が当たってないからか、距離を置くのは難しくなくていくらか幸いだった。

おわり

*1:そんなこと言いつつ、居心地が悪くなることが全くないといったらうそで、ただわたしの許容範囲内にとどまっているから続いてるんだろうと思う。

*2:アイドルを仕事としているひとたちは、「ポジティブ/ネガティブ問わず強烈な感情を向けて来るけど、ずっと同じようにそこに居続けてくれるわけではない身勝手な他人」としてのファンをどうやって受け入れてるんだろうとか、ふと考えたりもする。

*3:前も同じようなこと書いてた。そうかあれは「コミュニケーションとして行われる女の外見ジャッジ大会」!

*4:余裕が出てきたら読みたい:香月孝史 『乃木坂46のドラマトゥルギー 演じる身体/フィクション/静かな成熟』

対岸の火事?

某グループの配信ドラマの予告編がゲロゲロすぎてびっくりしちゃった秋の終わり。これまでにすごく関心を持ったわけでもない人たちのことなので、正直なところダサいおじさん同士で好きにキャッキャやっててくださいという感じだけど、このご時世にこんなことマジでやるの?という企画で改めてびっくりしてる。ドラマ本編が配信されたわけではなく、現段階で実際の詳細なプロットや表現は分からないけど、予告編の冒頭で乳房を水風船で表現してみたり、「おっぱいが大量にある」というセリフがあったりする時点であんまりろくなドラマにはならないんじゃ……という予感。本人の意志とは無関係に性的なものとしてまなざされる女性のからだの一部(ここでは乳房)を「女」の記号として切り出した表現がグロテスク。グループの名前やメンバーの名前は知っているものの、コアのファンではなく配信サービスの既存ユーザーでもなく今後本編を見ることもないだろうと思うので、ただこのグループとメンバーへの妙なイメージを植え付けられただけで終わりそう。前にクロニクルの深夜おひとりさま女性突撃企画へのモヤモヤを書いたときに、件のグループのファンの方からわたしの好きなグループでも最近こういう危うい言動があって、というメッセージをちらほらともらったのを思い出したりもした。(ジャニーズの他のグループやLDHのファンの方からも同じようなメッセージをもらった)

メンバーがただの出演者で制作への関与がなかったら、事務所のマネジメントがヤバいのかなってところに着地したかもしれないけど、メンバーの持ち込み企画だったらしいというから驚き。そしてそのメンバーがキャリアも実績もあるいい大人なのもキツい。仕事である程度の地位まで到達したときに、周囲から批判的なフィードバックをもらえなくなる怖さ、「周囲から諦められちゃった人」になる怖さみたいなものを、ナイナイ岡村さんの件で目の当たりにして(矢部さんがオールナイトニッポンでそんなこと言ってた)、自分が中堅ぐらいのポジションになったときにそうならないようにするにはどうしたらいいんだろうとか、あんまり関係ないところにまで思考を飛躍させちゃったりもした。原案書いた方がそういう存在になっていたかどうかは知らないけど、この企画に関わった人たちが当時の岡村さんみたいな「周囲から諦められちゃった人」たちじゃきゃこんな気持ち悪い煮詰めましたみたいな企画は出なさそうというか。「セクハラ(権力勾配を利用した、本人の意に反する性的な侮辱や接触なんてうまくかわしてこそ良い女」みたいな謎規範や、痴漢みたいな「当たり前みたいな顔して日常の中に居座ってる性暴力」があふれる社会ではあるものの、そのような状況への批判がなされるようになってきて、関連トピックを扱うには知識もスキルも必要だという認識が(少なくともクリエイター側には)それなりに定着していそうな今このタイミングで、こんな企画にゴーサイン出せちゃうの、ほんとのほんとにマジなの……?という気持ちがすごい。自分が好きなアーティストがやってたらキツすぎてしばらく立ち直れない。未満警察のときもだいぶキツかったな……。

幼少期からルッキズムど真ん中に置かれて、アイドル雑誌の取材では異性愛中心主義的な質問に偶像として答えることを強要され続け、芸能界の規範をガチガチに内面化し、みたいな環境が続くジャニーズもだいぶ大変だろうなとは思いつつも、そんな中でも時流を見極めて柔軟に対応していく人たちも(年齢や学歴にさほど関係なく)いるしなと思ったり。むつかしや。

おわり