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観たもの、考えたこと、あれこれ

190905&190906 キングオブコント準決勝@赤坂BLITS

せっかく行ってきたのでメモ。

# 1日目   2日目  
1 エンペラー 銀行強盗 カゲヤマ カジノ
2 マヂカルラブリー ラッパー や団
3 ジェラードン 深夜のオフィス ロングコートダディ バッテリー
4 ファイヤーサンダー 野球部 THE GREATEST HITS 映画館
5 コウテイ さんだる 嗜好
6 クロスバー直撃 新入社員 うるとらブギーズ サッカー中継
7 ななまがり 思い出しショック歌謡祭 イカすぜジョナサン コンサート
8 ザ・マミィ うーちゃん コロチキ じゃんけん
9 蛙亭 援助交際 そいつどいつ スッピン
10 わらふぢなるお バンジージャンプ サンシャイン クラスの不良
11 パーパー ベランダ 蛙亭 大阪の女
12 GAG 芸人の彼女 ゾフィー 探偵
13 藤崎マーケット 中の人 アイロンヘッド 旅館
14 かが屋 花束 やさしいズ 落ちた
15 相席スタート 元カノ ビスケットブラザーズ オークション
16 どぶろっく 農夫 ネルソンズ 野球部
17 チョコプラ クイズ番組 ジャルジャル 美容室
18 アイロンヘッド はよ寝え 空気階段 犯人
19 ゾフィー 謝罪会見 どぶろっく 農夫2
20 ジャルジャル 映画の撮影 ザ・マミィ 松の門
21 やさしいズ ストーカー パーパー リレー
22 コロチキ 反省 わらふぢなるお 電気屋
23 ネルソンズ 教室 チョコプラ カンフー
24 空気階段 タクシー コウテイ スパイ
25 そいつどいつ 脱出ゲーム 相席スタート 俯瞰で見る
26 カゲヤマ デート ジェラードン ライバル
27 THE GREATEST HITS 関西の強豪校 ファイアーサンダー 売れたら
28 さんだる 孤独のグルメ クロスバー直撃 修学旅行
29 ビスケットブラザーズ 知らない街 かが屋 親友
30 サンシャイン 絵描き歌 GAG クラス替え部
31 いかすぜジョナサン スナイパー エンペラー 隣人
32 ロングコートダディ これぐらいの棚 ななまがり 違いが分かる男
33 うるとらブギーズ 催眠術 藤崎マーケット クラブ
34 や団 喧嘩 マヂカルラブリー レシート

 

特に気になったコントだけ出演順に。

1日目  18:00-21:30

わらふぢなるおバンジージャンプ):最初から最後までずっと面白い。ボケ側のひともしかして経験者なのかなと思うぐらいの自然な演技でスゴイ。

GAG(芸人の彼女):1日目でダントツで好き。全体の展開も良かったし、途中で女芸人がリアルに直面してそうなことに言及してるのもめちゃくちゃ刺さった。

かが屋(花束):これを1日目に持ってきたの!?マジ!?ってなってしまってあんまり覚えてない(見るの4回目とかだったのでもう覚えてる)。加賀さん緊張してたな~!けどそこそこウケてたな~!冒頭の賀屋さん顔に力が入りすぎてたのかいつもより若干イケメンになってたせいで逆にネタのおもしろさ微減させてて笑ってしまった。

ゾフィー(謝罪会見):準々決勝でめちゃくちゃウケてたと聞いていたのでめちゃくちゃに期待しすぎた。けど、それでも面白かったのでゾフィーはスゴイ。(初見)

やさしいズ(ストーカー):脱力系のkemioみたいで好きだった。やさしいズはたぶんどのネタ見ても好きだなと思える気がする。
ネルソンズ(教室):うわこれ最悪のやつじゃんと思ったけど、トリオであることを生かしたネタで最初から最後までずっと面白かった。

空気階段(タクシー):あ、そっちじゃなくてこっちか!という感動。オチまで駆け抜けていく感じがめちゃくちゃ気持ちよかった。

さんだる(孤独のグルメ):テレビで見たことあるネタだったけど間と表情が絶妙で笑ってしまう。

ビスケットブラザーズ(知らない街):世界観がツボ。冒頭の独白みたいなセリフも良い。パフォーマンスアートみたいな趣さえある。

サンシャイン(絵描き歌):終盤にかけてライブみたいな盛り上がり方するのめちゃくちゃ良い。面白さよりか切なさ感じてしまうけど好き。

ロングコートダディ(これぐらいの棚):発想が天才。あと顔のパンチが強い。

わたしの個人的な倫理基準下回ってたコントが3本(展開発展させるところ間違えたり見せる場所間違えたりしたら燃えそう)。あとTHE GREATEST HITSのコントはスキルすごかったけどへたくそな関西弁一切笑えないからやめてほしい。(関西人の方言へのよくないこだわりが出てしまった)

 

2日目 12:30-16:50

や団(雨):今年のフジロックを経験したひとには特別刺さりそうなネタ。途中のひとことがめちゃくちゃツボだった。

ロングコートダディ(バッテリー):特別なことは何もしてないのにめちゃくちゃ面白い。発想が独特で今後もチラホラ見続けたいコンビ。

そいつどいつ(スッピン):2日目でいちばんウケてた。いわゆるめんどくさい女にやさしい世界観だったので安心した。オチが好き。松本さんこれからもがんばってな(たぶん良い人だから)。

蛙亭(大阪の女):女性のほうの演技力にウムムとなってしまいイマイチ没入できなかったけど生理用品のくだりはめちゃくちゃ笑った。

やさしいズ(落ちた):構成がめっちゃしっかりしてて永遠に笑ってた。個人的に2日目でいちばん好き。畳みかけるセリフの内容がめちゃくちゃ的確かつおもしろくて天才。

コウテイ(スパイ):1日目がエキセントリックすぎて苦手かもと思っていたけど落ち着いたコントでおもしろかったのでびっくり。ツッコミの人の顔めっちゃコロッケに似てる。

かが屋(親友):これなの!?ってなったけど、冒頭は前に見たときよりも面白くなってた。後半はセリフ減ったりなんだりでいろいろ変わってて若干分かりづらくなってたような。「親友」ってタイトルがあってはじめてこのコントは100%で伝わると思っているのでなんともいえない気持ちに。

GAG(クラス替え部):安定のおもしろさ。後半の一部が引っ掛かったけどそれ以外は終始何も考えずに笑えた。あとコンビの場合は3人参加型のほうが好きなんだなということに気づいた。

この日のエンペラーのネタは個人的にアウト。倫理基準とかじゃなくて発想が10年ぐらい前でつまんなかった。あと1日目のネタ見たときにどうかなと思ってたけど、やっぱりナチュラルな差別意識織り込まれてて1ミリも笑えんかった。

 

あとお笑い界隈に長くいるひとたちからめっちゃ疎まれそうなこと言うけど準決勝の審査員におじさんしかいなくてめちゃくちゃげんなりした。テレビなんてそういうもんだってわかってたけどプロデューサーのおじさん4人と放送作家のおじさん6人並ばれるとキツイ。とか言いながら決勝の審査員にもおじさんしかいないんだけど。(劇場行くと女性客のほうが全然多いのにね)

ちょっと前にマセキの某芸人がワーキャー女子じゃなくて先輩や男に笑ってほしいみたいな(本人としては悪気はないかもしれない)つぶやきをSNSでして一部のお客さんとかから顰蹙買いまくってたやつあったけど、そういう意識ってほんと悪意あるものとしてではなくマジでごくふつうにあるんだろうなと思ったり。お笑いに足突っ込んでまだ1年も経ってないけどたぶんそのうち思想が合わなさ過ぎてさようならみたいなことになるのかな。やだな~~。第7世代とか呼ばれてる人たちにはそういうのじゃない世界観で笑い取ってってほしい。

決勝のメンツがリークされてる通りだったらジャルジャルに優勝してほしいな。

おわり

夏、東京

海も花火大会も行かなかったけど、今年の夏はめちゃくちゃ夏って感じだった。

フジロックに行って修行かと思うぐらい豪雨に打たれ、サマソニに行って真夜中に酔っぱらって友だちと踊りまくった。翌日、高校のときの友だちに会うために帰省してみると、酔っぱらっておおはしゃぎしていた自分とはある意味対照的に、友だちはみな着々とライフステージなるものを登っていて、同じ高校生だったはずの「わたしたち」が今では異なった何者かになってしまっているようで、びっくりして、困惑した。結婚する、新居に引っ越した、彼氏ができた。おお、一般的にいう生活というやつっぽい、みたいなことを考える。そこに優劣がないことを分かってはいるし、両者を異なるもの、対照的なものとして扱うのが正しいあるいは適切だと言い切ってしまうこともわたしにはできない。

地に足をつけて生活している友人たちと、目の前の楽しいことを追い求めてふらふらしているわたし、みたいな。わたしの生活もべつにそこまで享楽的なものではないけど、したいことだけを好きなようにしているのは間違いがなくて、何かを我慢したりとかが、あんまりない。行きたい場所に行くし、食べたいものを食べる。付き合いたくない姑との何かがあるわけでもない。そういえば仲良くしていた片親仲間の友だちは子どもを産んで地元に家を買った。東京にいても同じように生活はしているはずなのに、どういえばいいのかわからないけれど、東京にいると、地元で見るような、地に足ついた生活めいたものがなんとなく見えづらくなるような気がする。

8月の終わりはかが屋が出るお笑いライブに足しげく通っていた。8月30日、渋谷のBunkamuraのすぐ近くにあるユーロライブという劇場(あるいは映画館)で、テアトロコントという、コントと芝居がごっちゃになって上演されるステージを見た。仕事を少しだけはやく抜けて、スマホで検索した通りに渋谷の地下を歩いた。雑多な人たちがたむろする路地を抜けて、ラブホテルのそばを通り、ユーロライブにたどりつく。Bunkamuraには行ったことがあったけど、その奥の、ユーロライブがある近辺には行ってみたことがなかった。絵を描き終えたあと、きれいな色がまじりあって汚くなったパレットみたいな路地の雰囲気に、なんとなく胸がざわざわした。坂を下りて大通りに出てみると、高級ブランド店のウィンドウがキラキラとまばゆい光を放っている。さっきまでわたしが歩いてきた道は夢だったのだろうか、と思うくらいに、雰囲気が違う。歩いているひとも、全然違う。

「汚いクツで自由に歩ける渋谷は最高です!」

その日見たゆうめいという劇団による「残暑」という演目に出てくる台詞。物語の語り手であり主人公でもある田中祐希という地方出身の青年が、かつて片思いをしていた女の子と、銀座で10年ぶりに再会する場面。彼を見るなり、彼女は彼のクツが汚いことに言及する。それに対して彼は言う。

「汚いクツで自由に歩ける渋谷は最高です!」

さっきまでラブホテルが立ち並ぶ路地を歩いていた自分を思い出す。そして、いま一緒に仕事をしている人たちのことを思い出す。清潔でこじゃれた洋服を着て、清潔な顔立ちをした人たち。客単価が狂ったお店で、自分とそう年齢が変わらない先輩が初任給の手取りほどもする家賃の部屋に引っ越した話を聞いたのはつい2日前のことだった。

東京。好きでも嫌いでもないのは変わらないけど、まわりを忘れて、自分の実現したいこととか、自分の夢を追いかけるとか、そういうことをするにはたぶん良い場所なんだろうなと思った。テアトロコントの前の日にかが屋が出ていた速いビームという小規模なライブは、どこか青春っぽい雰囲気がただよっていて、その楽しそうな感じがちょっとだけうらやましくなったりもした。成し遂げたいことや叶えたい夢があって東京に来たわけではないから、そんなことを思うんだろうか。

なんだか妙に辛気くさいかんじになっちゃったけど、夏は楽しかったよ。

おわり

ただの日記:教師の権威とその難しさ、みたいなところ

「将来は先生になりたい」と文集に書いたことがあった。母が言語教育に携わっていたこともあったし、当時担任をしてくれていた先生も優しかったから、なんとなく漠然とそう書いたんだと思う。夢はころころ変わった。ファッションデザイナーになったり、弁護士になったりした。高校生になる頃には、教師はどうでも良い職業のひとつになっていた。むしろ教育に携わるなんて物好きだ、というようなことを考えるようになっていた。

大学1年生のとき、教師には絶対なりたくないと思う出来事に出くわした。「教師の一挙一動はひとりの人間の人生に取り返しのつかない傷を残し得る」とまざまざと思い知らされた出来事だった。教師じゃなくたって、誰だって他者に取り返しのつかない傷を残してしまう可能性はある、と思えるようになったのはそこから数年後だった。けれど、日常的に関わるコミュニティをたくさん持っているわけではない小中高生に対して、教師が及ぼす力はたぶんけっこう馬鹿にならない。

大学で教育をかじることになったのは全くの偶然で、想定外のことだった。指導教官は絶対に自らが持つ「権威」を振りかざさない人で、よっぽど彼女の地雷を踏む発言(明らかに倫理的な問題があるようなもの)でなければ、だれの発言も否定しなかった。自身が持つ権力に対する無自覚、積極的に権威をふりかざす行為、みたいなものに対する抵抗感は、彼女と過ごした数年の間に、わたしの基礎理念みたいな部分にそれはもう深く根を下ろしてしまっていて、今もしぶとく「巣くっている」(たぶんもう抜けないと思う)。

この間、中高生たちといっしょに、ちょっとしたワークショップをする機会があった。いろんな学校からいろんな生徒たちと先生たちが来ていて、生徒と先生の関係性はこんなにも異なるのかと、そばで見ていてびっくりさせられた。生徒たちに対して「自分が思う正解」をよかれと思って押しつけ、ときに自らが持つ権威をふりかざすことで悦に入っている(ように見える)教師もいたし、生徒たちに積極的に関わろうとせず、あまり頼りにされていないようにも見えるのに、実は適切な信頼関係を築けている(ように見える)教師もいた。

ワークショップのファシリテーションをしている間、かれらは「外部の大人」という立ち位置で参加するわたしをどのように捉えているのだろうか、ということがしきりに気になった。わたしとかれらのパワーバランスを気にしながら、くだらない話をふっかけてみたり、ひたすら沈黙して場を見守ったりした。ワークショップ自体が適切にデザインされていないこともあり、なによりわたし自身のスキル不足のせいで、ファシリテーション自体も泣きそうになるぐらい難しかったけれど、実際に考えたり手を動かしたり話し合ったりするかれらと、かれらが自分の考えを出しやすいプロセスを構築し、会話や議論をよりスムーズに進めようとするわたしとの「パワーバランスの調整」がいちばん難しかった。

受け持ったグループのメンバーひとりひとりがビクビクすることなく、お互いに考えたことを話したり聞いたりして、最終的にみんなが納得しつつ、それまでのプロセスからなにか新しい発見を得るにはどうすればいいだろうか。そんなことを考えながらやってはみるけど、これがめちゃくちゃに難しい。ここはみんなの意見が尊重されるsafeな場所だよと説明したり、口を開かない子の様子を見ながら声をかけてみたりするけど、ひとりの人間を理解するなんてそんなたやすいものではないので、うまくいったりいかなかったりする。子どもたちは、みんなそれぞれの強烈なクセをたくさん持っていて、当たり前だけれど誰ひとりとして同じ人間ではないから、同じアプローチが通用するとも限らない。四苦八苦しながら、教師って仕事はほんとうにめちゃくちゃ難しいんだろうなあ、と、ぼんやり考えた。

そんな風に悩みながらファシリテーションをしていたものだから、中間地点では明らかに遅れ取ったり、アウトプットがイマイチだったりもした(タイムキーパーとしては完全に失敗)。それでもブレずに、当初の目的に沿って最後まで辛抱強く続けられたのは、教育実習で教科書ガイドとは異なる解釈で研究授業をしたときに、担当してくれていた先生が言った「〇〇なりのねらいと根拠があって教科書ガイドを無視するわけだから、他の先生になんか言われても気にしなくていい」ということばの影響が大きかったんだろうなとかも思ったりした。

あのことばがこんなところで効いてくるとは思わなかったな。(ちなみにこのとき担当してくれた先生は、口ではめんどくさいとか嫌いとか言うけど、生徒たちへの想いが行動から全部漏れてしまってるもんだから、結局生徒にはめちゃくちゃ懐かれちゃうタイプの先生だった)(かわいい)

おわり

190709 ライラックブルー@新宿Fu-

特にイベントがなくても、書くことがあんまりないように思えても、とりあえず毎日ブログを書いてみようと思ったばかりなのにすでに挫折してる。マセキ芸能社の定例ライブ、ライラックブルーに行ってきた。定例ライブそのものは「パンキッシュガーデン」で、人気や実力によってランク分けされたうちのひとつが「ライラックブルー」(上から2番目)ということらしい。

マセキ芸能社 MASEKI GEINOSHA Official Site

全体的にお笑い評論家みたいな文章になってしまったけど、感想を書いてたらそういう感じになってしまっただけので通りすがりのファンの方はフ~ンと流してください。

かが屋以外にネタを見たことがあるコンビはいなかったけれど、それなりに楽しめた。定例ライブということもあって、内輪ネタで会場がドッと沸いてたけど、そこはあんまりついていけなかった。まあお笑い初心者なのでこれはしょうがないな。出演したすべてのコンビがそれぞれに個性的だったけど、ぜんぶ書いてるときりがないので、特に面白かったしゃもじとモグライダーについてちょこっとだけメモ。

しゃもじはありきたりなネタをしっかり笑いにつなげるところに実力とかキャリアの長さを感じたし、オープニングとかネタ披露ではない場での茶々の入れ方や間合いの取り方が自然で心地よかった。なによりそこで話してるトークがちゃんと面白かった(枝野さんのスピーチのあとにコントをやる営業に行ってきた話)。出演コンビがそろうオープニングはそれぞれの「俺がわたしが!」という主張がすごくて面食らってたけど、そのなかでとりたてて目立つわけではないものの、適度な相槌やツッコミを入れつつ、自分たちに与えられたトーク時間のなかではしっかり笑いを取って来るしゃもじはすごかった。こういうスキルってどうやったら身につくんだろう。がっついてはないけど、爪痕はしっかり残す、みたいな感じがとても好印象だった。

モグライダーはフリートークのときの芝さんのツッコミが絶妙だったのに加えて、芝さんともしげさんがふたり並んで漫才するときの、お互いがお互いに対してめちゃくちゃ浮いてるみたいな感じ、水と油、共存はするけど絶対交じり合わなさそうな感じがもうそれだけでめちゃくちゃ面白かった。ふたりがちょっぴり緊張しつつも自然体のままで(あるいは自然体のように見える状態で)いるのに、お互いに強烈な個性を放っているのがビシバシ伝わってくるとでも言えばいいのかな。漫才の最中におそらく素でともしげさんが噛んでたんだけどそれも良いスパイスになっててめっちゃ笑った。漫才のネタそのもの(真実の「お好み」焼きを作りたい)も着眼点が独特で、かつ、ちゃんと面白かったので、もっとネタを見てみたいなと思ったりした。

面白かったかっていうと微妙なラインにいるけど、エル・カブキも印象は強烈だった。良い意味でも悪い意味でも。時事ネタを持ち出すのは面白かったけど、それらがあくまで冷笑的な態度に留まっているように感じられてわたしには合わなかった。面白いっちゃ面白いんだけど、どういう意図でこういうネタをしているのか、っていうところでわたしのかれらに対する印象が180度変わりそう。

肝心のかが屋!善人しか出てこないのにそれぞれのベクトルが異なっているせいで良い結果にならなくて、登場人物がすれ違う様子が切なくも笑える、というかれらのネタの根幹みたいなものが垣間見えるネタだった(とある映画の原作ファンと、その映画を見たばかりのひとの掛け合い)。けどなんかもの足りなかった……!わたしがあまりにもかが屋に期待しすぎてるからかも。それにしても加賀さんの表情筋がすごいのなんの。冒頭の1分ぐらい顔だけで演技してたけど、それでも何が起きたのか分かっちゃうからほんとすごい。もちろん、賀屋さんのセリフや行動に場面構成を見ている人に伝えるためのヒントがちょこちょこ織り込まれているからこそ、あんだけ少ない情報量でも想像して笑えるんだとは思うけど。もの足りなかったとか言いながら結局かが屋ベタ褒めしてしまってる。心底惚れてるな。

来月のコント16本やりますライブも絶対に行きたいな!

おわり

190707 Queer Animation Screening! 201Q クィア・アニメーション上映会@東京藝術大学大学院(馬車道キャンパス)

東京芸術大学大学院映像研究科主催の企画。詳細は以下のリンク先で。

GEIDAI ANIMATION

タイトルに「クィア」がついていて、しかもゲストはクィア理論を専門としてきた方だだったのでポスターを見てすぐ行くことを決めた。上映された作品のなかには分かりやすいものもあれば、全然分からないものもあった。その中で、特に印象に残ったものふたつ。

 

Diane Obomsawin " I Like Girls " 


I Like Girls Trailer (フルも上がっているので気になる方は検索してみてください)

これは個人的にとても好きで、何度でも見たいなと思った作品。4人の登場人物がじぶんの恋愛について語る。言ってしまえば、ただそれだけの映像。だけど、語り口が淡々としているのとか、もっと付け加えてもいいのに言語化されたものを本当に素直にそのままアニメーションにした感じとか、オチもなく突然それぞれの物語が終わる様子とか、それらが合わさってひとつになっているのがすごくキュートで好きだった。淡泊でシンプル。それぞれの語り手が、自分がレズビアンであることをわざわざ言ったり強調したりしないのも、レズビアンであることはとりたてて言及しなければならないような大仰な事柄ではないのだ、と言っているみたいで好きだった。

 

しばたたかひろ " 何度でも忘れよう "


しばたたかひろ/何度でも忘れよう(トレーラー)

映像としては好みではないし、また見たいともあまり思えない。だけど、映像を反芻してあれこれとずっと考えてしまう。上映後に作者本人による種明かしがあったのも大きいのかもしれない。自分はゲイで、そのことを両親に3回カミングアウトしているのに、ぜんぶなかったことにされていて、そのことについてあらわした映像だ、というようなことを言っていた。

なんの情報もない状態でこの作品を見たときには、傷の不可逆性について考えていた。主人公のテディベアは作中で傷を受けるが、誰かがそれを「縫う」ことによって、傷を受ける前の状態に戻った気になることはできる。機能を回復することもできる。だけど、その傷が「なくなることは絶対にない」。作者が作品に付け加えていることばを借りると、「傷ができたこと、傷がそこにある/あったことを、なかったことになんかできない」みたいなことを考えていた。

作者による短い挨拶と、制作意図を語る短いことば。作者は、自分のカミングアウトが「なかったこと」にされたという出来事と、そのあとの自分について考えたことを煮詰めて煮詰めて、あの作品を作ったんだろうなと思った。一方で、わたしはこの作品を、わたし自身が経験した喪失と重ね合わせて見ていたんだろうなとも思った。大切な存在を失うという経験をしたわたしは、それを失うかもしれないなんて夢にも思っていなかった頃のわたしに再び戻ることはできない。一度できてしまった傷は、癒えることはあるかもしれないけど、消えることはない。そして、傷と同時にわたしのなかに生まれてしまった恐怖や不安が完全になくなることもたぶんない。

 

作品の上映の合間に、ゲストと主催者による短いトークセッションも用意されていた。ゲストはジェンダー論、クィア理論、批評理論を専門とする松下千雅子さん。主催者は東京藝術大学大学院映像研究科の矢野ほなみさん。それと、主催ではないけれど翻訳などにも協力していたというノーマルスクリーンの秋田祥さんもトークセッションに参加していた。

まずは、「クィア・リーディング」についての説明。検索したら松下さんの科研の報告書出てきた。

kaken.nii.ac.jp

クィア・リーディングに関してはまだ全然かみ砕けてないので、とりあえず科研の報告書から引用してみる。

文学の読みにおいて、テクスト内の登場人物の性的な欲望や行動が描写され、そのことによりホモセクシュアルであると決定されうるとしたら、それはどのようにして可能になるのか。そうした描写は誰に帰属するのか、誰がその描写の意味を解釈するのか、そしてその人物のセクシュアリティを判断する決定権を持つのは誰なのか。本研究では、これらのことを明らかにし、同性愛者がクローゼットの中にいるのか外にいるのかという議論ではなく、クローゼットそのものがどのようにして構築されていくかを明らかにした。

トークセッションのなかで、ノーマン・マクラーレンという映像作家(映画監督)が話題に上がった。矢野さんいわく、矢野さんが彼の " Narcissus " という作品を分析する際、彼が同性愛者であると言及することはアウティングにあたると認識しているため、作品の中に「同性愛的な描写」があることと、彼が同性愛者であることを直接的に関連付けたくないと考えているものの、適切な分析方法(あるいは作品の「読み方」)も分からず困っているときに、松下さんのいう「クィア・リーディング」に出会い、視野が開けたという。(違ったら連絡ください……)


Narcissus

矢野さんのお悩み相談、みたいなのをきかっけに、トークの主題は作品と読者(≒作品を解釈する存在)の関係に移っていった。読者による「読み」は、その作品が持ち込まれる「場の文脈」、あるいは、読者自身が作品を「読む」際に持つ「欲望」に左右される。というような話におおむね収束していった。フィッシュの『このクラスにテクストはありますか』に出てくる例みたいだなと思いながら聞いてた。(複数の単語の羅列は、それ自体が「メモ書き」や「詩」であるのではなく、それを「詩」として読み解こうとする解釈共同体によって「詩」であると解釈される、みたいなやつ)

でもって、「持ち込まれる場の文脈によって、意味付けが変化する」って作品に限らず人にも言えそうで面白いよなと考えたり。ある人物に対する他者による解釈をラベリングと言うべきかポジショニングと言うべきかわかんないけど。なんとなくアイデンティティの話とつながるみたいな感じがして楽しい。(すぐ色んなところに飛躍させようとするクセ)

関連があるとは思ったけど、役に立つと思って専門でもなんでもない文学理論かじってたわけじゃなかったから、思いがけないところで役に立っててなんとなく愉快。

おわり

要領良く仕事ができる先輩とあんまりうまくやれなかったわたし

ここ最近、業務中にどうしようもなくなってしまい、ふらりと近所の公園まで出向いて音楽聴いてしばらくリセットしないと何もできないみたいなことが数回あった。謎の動悸もあるし深呼吸しても胸がつかえてるしでこれはわりとヤバいんじゃないかと思いつつ、なんとなく過ごしてきた。そんなタイミングで、ちょうどチームから離れることになったので、ここ数か月のあいだ、自分のなかで何が起きてたのか、今後同じことを繰り返さないために何ができるのかを考えるために書いておく。

要領がめちゃくちゃ良い先輩がいた。とりあえず田中さんとしておく。見た目は大学生みたいで、しゃべり方もヘラヘラしてる。だけど、「解決」に至るための最短距離を見抜くのがはやい、言い換えれば、重要度が高い部分とそれ以外を見極めて取捨選択するまでがものすごくはやい人だった。例えば、上層部からなんらかの調査と回答を求められたとき、作業に取り掛かる前の段階で「調査を行う上での全体的な大前提は何か」「調査・回答を評価する最終権限は誰にあるのか」「権限を持つ人(人々)はどんな情報を求めているのか」といったことを田中さんはほとんど無意識のうちにリサーチしている。そのうえで、回答の提出期限までに与えられた作業時間を勘案し、「本当にやらないといけない、絶対外してはいけない部分」を抽出する。作業のスコープとアウトプットを明確にしてから作業に取り掛かるので、効率は良いし、実際のアウトプットも上層部が求める情報を提示していて無駄がないので、突き返されて再びイチからやり直し、というようなことも発生しない。ふだんも気さくにいろんな人とおしゃべりしていて、必要であれば他チームだろうがなんだろうが誰にでも質問しに行くから人脈も広い。仕事ができる人ってたぶんこういう人のことを言うんだろうなと思った。

けど、仕事の先輩としては全然合わなかった。とにかく何を聞いても「好きなようにやればいいよ」としか返って来ない。チームに入ったばかりのときは、何から何までちんぷんかんぷんで、そして、チーム内で「本当に何でも質問して良い」ということを知らずにやたらとビビっていたので、何を誰にどう質問すればいいのかも分からなかった。ビビらず自分から聞きに行く必要があったのだとも思うけれど、マネジメント層から特にこれといった指示もはなく、自分はどんな役割でここにいるのか、何を期待されているのかも分からない。そんな中で、田中さんは「分からないことはなんでも聞いて」と親切そうな顔で言うので、おそるおそるやっとの思いで質問してみる。すると、田中さんからは「〇〇さんがやりたいようにやればいいよ」と返ってくる。そもそものお作法も分からず、あるべき姿を思い描けるほど賢いわけでもなく、どこから何の知識を引っ張ってきたらいいのかも分からないので、「やりたいようにやればいいよ」という助言はやさしいようではあるものの、全然役に立たなかった。そんなことを言われてもどうすればいいのかてんで分からないぐらい何も分かっていない、ということ自体を明確に言語化したうえで質問や相談ができなかったわたしの至らなさも大いにあるのだけれど、そんなことを繰り返しているうちに、「業務について田中さんに相談する」という選択肢はわたしの中から消えた。仕事はめちゃくちゃできるかもしれないが、相談したとことろでわたしにとって役立つ助言が得られることはないと判断してしまったので、自然とそうなっていった。

そんな田中さんが、数か月前にわたしのSVになった。

それまでは別のおじさん(おしゃれな子犬みたいな人)(かわいい)がわたしのSVを担当してくれていて、おじさんはおじさんでやっかいだったりめんどくさかったりもしたが、お互いに言うことは言う関係をつくることはできていたので、それなりに仕事をすることもできていた。困ったときや分からないことがあったときに質問・相談すると、ヒントになるような答えや必要なインプットが返ってきた。わたしの質問の意味自体が分からないから説明してほしいと突き返してくることもあったが、それはそれで、わたし自身が自分の至らなさに気づき、改善策を考えるきっかけになった。他所から無茶な要求をされたときには調整かけあってくれたし、パワハラ一歩手前のような行動を取られたときには抗議して守ってくれた。基本的な価値観が合うかと言えばそうではなかったし、おじさんのやり方は違っていると思う部分もあったけれど、わたしとコミュニケーションを取る努力をしてくれている感覚があるというか、少なくとも信頼できると思える人だった。

田中さんに対して、おじさんに抱いていたような信頼をわたしは最後まで抱けなかった。業務上でのかかわりが全く発生しなかったときは、それでも問題なかった。休憩時間にどうでも良い会話をしてへらへら笑い、ときたま飲みに行ってへらへら笑った。それは楽しかった。でも、田中さんがSVになってから、仕事をする上でわたしは田中さんのことを全く信頼していないんだな、ということが分かった。

おじさんがいなくなり、ひとり投げ出された状態で進め方が分からなくなってしまって誰かに相談したいと思ったときも、どうせまた「やりたいようにやればいいよ」という答えが返ってくるんだろうなと思い、田中さんに相談することができなかった。1か月ぐらい奮闘していたけど無理だった。だれかに対して一度信頼できないと思ってしまうと、そこから再び信頼できると思える状態に自分を持っていくのはけっこう難しいことなんだなと思った。田中さん本人に「あなたのことが信頼できません」と言うわけにもいかないしで、ここ1か月ぐらいしんどくてどうにかなりそうだった。

田中さんの名誉のために書いておくと、途中でしんどいということを伝えたときから、色々と気をつかってくれてはいた(しんどいということを伝えたというか半ば無理やり共有させられたのは根に持ってるしわりとトラウマだけど)。しかし、田中さんはわたしの話を聞くというよりは、自分なりの助言をどんどん与えるというパターンが多かった。傾聴モードに慣れていたことや、わたしが口を開くのが遅かったこと、伝える度胸がなかなか出なかったこと。至らないところはたくさんあったのは百も承知だけど、ひとりでずっと喋っている田中さんを見ながら、わたしのことを何も知らないで色々押し付けられても、というような気持ちになってしまうことも1度や2度ではなかった。伝えたいことはあるのに伝えようという気力が出ないみたいな状態になってしまい、そのため、田中さんはインプットがないまましゃべり続ける、わたしはそれを聞いてさらに伝える気持ちをなくす、みたいな負のスパイラルに陥っていった。わたしもわたしでめんどくさいなまじで。コミュニケーションって難しい。

 

学んだこと

・新しい人たちと仕事をするときは、最初にまずとことん自己開示する。機会がなければ自ら機会を設ける。自分ができること、やりたいこと、できないことを洗いざらい説明する。

・自分の役割、期待されていること、与えられている権限を明確にする。自分の存在意義を明確に認識していないとモチベーションが死ぬ。そして、どこまでやる必要があるのか、どこまで責任を取る必要があるのか分からない状態が続くと精神がやられる。

・考えても分からないことや困ったことに出くわしたときは、無理せずまわりに助けを求める。自分ひとりで抱え込んでうまくいくことはない。まともなマネジメント層であれば、調整してくれたり解決に至るヒントをくれたりする。(全体的な構造や仕組みを意識せずに、個人の能力に依存するようなマネジメント層には気をつける)

・疑問に思ったことは書き留めておき、適切なタイミングで、適切な言い回しで聞くようにする。その場で聞けるものは聞いてしまっても良い。そういうことになっているからとスルーするのはもったいない。

・誰に対してでも、質問するときは背景を説明したうえで、自分がどこで困っていて、どんな情報や助言を欲しているのかを明確に伝える。

・内心で「仕事ができないのかな」と思ってしまうような人でも、その人について評価したり陰口めいたことを言ったりしない。どうすればその人がより良く成果を出せるか、どのような環境を整える必要があるのかなどを考え、そのために自分には何ができるのかを考える。あくまで「改善するために何ができるか」を考える。その人がやりづらいのは能力ではなく環境によるものかもしれない。

・自分だけが良ければ良い、というマインドで仕事をしない。チームで成果を出すということを意識する。(ただし、チームがすでにのっぴきならない状況になっていて、なおかつマネジメント層がそれを問題視していないときは、自分がオーバータスクにならないよう気を付けながら早めに脱出する)

・「仕事をしているときの自分」というわたしを新たに生み出さない。怖がらずに、いつもの自分でいることを大事にする。

 

書いてみたらちょっとだけすっきりした。結局田中さんと妙な感じのままさようならしてしまったのが心残りだけれど、過ぎてしまったことは仕方ない。またどこかの飲み屋で偶然出会える日を期待して。明日からも無理せずゆるっとがんばってこ~。

おわり

190427 瀬戸内海のカロカロ貝@北沢タウンホール

恒例のハッピーガールっぷりを発揮した。何度トライしても取れなかったチケットを直前に譲っていただいて、かが屋の第2回単独公演を見てきた。めちゃくちゃ良かった。あまりにも良すぎて、なのにどこか胸が苦しくて、笑いながら泣いてた。

北沢タウンホールは、下北沢駅から歩いて5分くらいのところ、ふだんは近隣住民が公的な手続きなどをするような建物の中にあった。あまりふかふかとは言えない椅子が並ぶミニシアターみたいな、今まで行ったなかでいちばん近いのだと塚口サンサン劇場かな、そんな感じの、300人くらいが入るこぢんまりしたホール。

ホールの入口につながる階段のそばで整列して階段を上がり、チケットをもぎってもらう。ファンの方から贈られたらしいお花を横目に劇場の扉をくぐると耳馴染みのある音楽が聴こえてきて、かが屋のふたりや、公演の手伝いをしたであろうかれらの仲間たちが、自分と同じ世代だということに思い当たる。そして、なんとなくくすぐったい気持ちになる。

舞台が見やすそうな座席に腰を下ろして、チラシをぱらぱらとめくる。グッズでも買いに行こうかなと思っていると、不意に、聞き覚えのあるベースと、それに続く軽やかなギターのストロークが場内に流れた。そして、伸びやかなトランペット。

5限が終わるのを待ってた わけもわからないまま

椅子取りゲームへの手続きはまるで永遠のようなんだ

とりわけ思い入れがある曲でもなかったはずなのに、太陽のひかりでなまぬるくなった各停電車に乗って、うとうとしながらこの曲を聴いていた頃のことが急にフラッシュバックした。自分でもびっくりしたけど、ちょっとだけ目の前がにじんだりなんかした。大学への入学が決まったとき、第一志望に入れなかったことへの劣等感で頭がいっぱいだった。これから通う大学に期待も希望もなく、傲慢でありながら卑屈だった。大学1年生の4月、大学に向かう電車のなかで窓の外を流れていく景色を見ながら「いつかこの風景が懐かしくなる日が来るのかな」とぼんやり考えていた。1年くらい経って、いろんな本や人と出会ってだんだん大学生活が楽しくなってきた頃。その頃によく聴いていた曲だった。いつか懐かしくなるんだろうなと思ったあの頃が懐かしくなって、開演前にちょっとだけ泣いた。(andymoriで胸がキュウとなりすぎてポエムのようなプロローグ)

単独公演で見たコントは全部で7本。

オープニング(タイトル不明)/リズム/ランチ/親友/市役所/電話/始発

ぜんぶ好きだったけど、特にグッと来たのはランチと市役所。ひとつひとつのコントに登場するキャラクターがぜんぶちゃんと「人間」で、それぞれに個性があって、クセがあって、ずるい人もいればお茶目な人も天真爛漫な人もいて、かが屋がつくりだすこの世界観がほんとうに好きだなって思った。

 

めちゃくちゃネタバレしているので、たたんでみた。

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