みつめる

観たもの、考えたこと、あれこれ

4月14日

はてなブログの編集画面に出てくる「お題」。今日のお題は「あったかいぞ外に出よう!」らしい。なんか元気出る。今日は確かにあったかかった。

鬱々とした気分は止まらず、あれやこれやと迷走している。とりあえずこれまでやってきたことを書き出してみて、さてこの先はどうしようかと考えたりしてみる。

最近読んでる『生まれつき男社会に服従する女はいない』がおもしろい。この本の主題である「女の服従とは」という話もだけど、この本の中で語られるボーヴォワールがおもしろい(あとサルトルと喧嘩しててみたいな話が出てくるのもおもしろい)。原著読んでみなきゃ分からないような気もするけど、彼女が言うところ「実存」的な何かがしっくりきていそう。あれやこれやは社会的に構築されているのだ、ということはつまりそれは解体したり変化させたりすることが可能であるはず、というのは分かりつつ、とは言えどもそこにある肉体のゆるぎなさたるや。

そういえば前にどんより文章を書いてから、これじゃいかんなと思ってちょくちょくカフェやら図書館やらに行くようにしている。コロナ禍前から家で作業できる環境を整えてはいたものの、やっぱり外だと格段に集中力が上がる。中高生のときは家でもちゃんと勉強できたのに、すっかり自分に甘くなっている。逆になんであんなにまじめにいられたんだろう。

家で作業するときはビョンギ(韓国の音楽プロデューサー)のプレイリストに助けられている。「コンテンツ」大洪水時代、趣味が良いキュレーターの存在は大切だ。(ビョンギのプレイリストは彼の趣味っぽいけど)

あとなんだろうな。根詰めて仕事に向き合うことをやめよう、と決めた週だった。「あ、やーめた」と自分の中でぷっつんしたのが明確に分かった。人数もいないんだし、自分がやって楽しかったり経験になったりする部分だけをまず大切にするのも別にいいんじゃないか、と思った。まあ現実的な諦めでもある。これまで取捨選択できてなさすぎたのかもしれない。

来月久しぶりにまた海外に行く。円が弱すぎて悲しいけどいったんお金のことは忘れてふらふらできたらいいな。

おわり

一時停止

あったかくなったり寒くなったり、おかげで体調も乱高下する日々。気づいたらまたひとつ年を取っていた。半年ちょっとにわたって労働が割と大変な状況にあり、たぶんそのせいで精神的にちょっと削られている。だからといって心療内科にかかるほどではないんだろうけど、なんとなくこれはやばそうだなあという予感だけが自分の中にある。それでも修論書いてたときみたいに分かりやすく体に何かの兆しがあるわけではないので、そんなにせっぱつまってるわけでもないのかもしれない。そういえば働き出して1年くらい経ったときもいきなりリンパが腫れたりしてた。旅行して帰ってきたらきれいに治っていてなんて素直な肉体なんだ、と思ったりしたのを思い出した。

最近は前に比べてたくさん本を読んでいる気がする。テレビを見なくなったからか。出社が増えて電車の中で本を読む時間が長くなったのもあるのかな。

英語を使う場面がどんどん増えてきて、そのたびに自分の出来なさに悔しい思いをしている。結局そんなの勉強するしか解決策はないわけだけど精神的・肉体的な余裕のなさ、追い込まれてはいるのに関心は全然ない、というなめた理由からあんまり継続できないままで、そのことでまた自分が削られていくような感覚がある。ちょっと言い訳めいている感覚があることにも削られる。逃げ場がない。

環境を変える!と言って転職したってきっと変わるものではないだろうけど、とにかく今はしばらく休みたいという気持ちが強い。私がいないと成り立たないわけではないが、権限とかの関係で私がいなきゃいけない場面が多くて、時差がある中でぶつ切りの対応をしたりだとか、私がやらないと支障が起きるみたいな状況にあること自体にすっかり疲れてしまった。という話を誰かにできたわけでもない。

それこそ行き帰りの電車で眠り込んでしまうような、それくらい忙しくなればアドレナリンが出てこんなことも気にならなくなるんだろうけど、疲れを感じられる程度の忙しさだから余計にしんどくなっている。人とのノリやテンポが合う関西に帰りたい。けどなんでもある東京の恩恵にあずかれなくなるのもな。とか、さくっと決断をくだせたらラクなのになあ。また研究できたらいいなと思いつつ、出口の見えないなかを手探りで歩くしかない感覚とかあのとき味わったしんどさとか、その先にあるワープア生活を考えると踏み出せない。ワープアって決まってるわけでもないけど見通しが明るいわけでもない。

いつからこんな優柔不断になったんだろう。今の生活があまりにぬるま湯でそれにすっかり飼いならされてしまったのかもしれない。自分との約束を守りたいけど約束が多すぎると逆に自信をなくすので難しい。なんか暗い文章になってしまった。シンプルに体力や睡眠が足りていないとかホルモンバランスが崩れているだけかもしれない。

最近いちごをたくさん買ってたくさん食べている。人生は有限だってわかってるのにすぐ忘れてしまう。

おわり

君はそう決めた

坂本慎太郎の「君はそう決めた」はずっと自死するひとの曲だと思ってた。なぜそう思ってたんだろう。飄々として軽やかなリズムと音のうえで転がる「君はそう決めた 突然に」にその決断の深刻さと軽薄さの両方を感じる。世界を捨て去ることなんて全く大したことではないんだよと言ってるみたいな感じ。カミュの『幸福な死』を読んだときになぜか浮かんだのがゆらゆら帝国(または坂本慎太郎)だったからってだけなのかもしれない。

なんで急にこんなのを書いてるのかと言うと、さっき不意に、「君はそう決めた」が自死するひとではなく人生をずんずん進んでいくひとの曲に聴こえてびっくりしたから。心境の変化?10年くらいなんとなくこういう曲だなあと聴いてた曲が大したきっかけもなく自分のなかでまるでその姿を変えることってあるんだな。

ここ数ヶ月悩まされていたことがあったのだが、ついに明日なんとか決着がつくかもしれなくて少しそわそわしている。それにしても不甲斐ない自分に悲しくなる日々。って打ってたら「今年やりたいこと、ブログに書いておこう!」という文字列が目に入ってなぜかほっこりした。

決めたことをきっちりやり遂げられるひとになりたい。いくら考えてても言語にして伝えようとしたり行動に移したりしないと何も残らない。言語も行動も何かを伝えるための媒体となるときは常に取りこぼすものだけど、痕跡は残しうる点で何もない状態とは全然違う。

そういえば自己愛にまみれてるっぽい文体に嫌悪感を抱くようになった。同じ自己愛でもほんとに自分しか見てないんじゃないかって文体は大丈夫かもしれない。チラチラとこちら側を見てくるような文体が駄目。と言いつつこうやって文章書いてること自体が自己陶酔っぽくもある気がして矛盾している。淡々としていながらもそれなりにやわらかくて、でも乾燥していてつめたい文体に憧れる。

なんでこんな話になったのか忘れた。思春期のころ書いてた日記みたいな文章になった。寝る。

おわり

2023年を総括すると「欲望」になるのかも

11月末に観に行った「ねじまき鳥クロニクル」の感想を書かないまま2024年に突入しそう。仕事がめちゃくちゃすぎてもともと取っていたチケットを泣く泣く譲ったはいいものの、諦めきれずにチケットを探したらとんでもなく見やすい席を譲ってもらえた。物語の筋は相変わらず気持ち悪かった(ほめてるタイプの「気持ち悪い」ではない)けどダンサーさんの肉体がすべてを覆していった。ひとりものすごく好きな踊りをする方がいてインスタ探してフォローした。SNSこういうときありがたい。

2023年は去年に比べるとお芝居はたくさん見たけどコンサートやライブの類はすくなかった。ライブそんなにたくさん観に行かなかったな。おとぼけビ~バ~のライブがめちゃくちゃカッコよかった。好きだったお芝居は「おとこたち」。「ラビットホール」も悲しみに人を突き放すみたいで好きだった。理解しあえないこと、絶望、だからといってそれを浮世離れした悲劇のように扱わないこと。悲しみにその心とからだを砕かれてもなお平然と続く毎日を生きていかなければいけないという事実。そういうものをお涙頂戴系じゃない雰囲気で見せてくれたものだったからかもしれない。「おとこたち」ほんとに大好きだった。

今年はひょんなきっかけで3年くらい積んだままにしていた『呪われた部分』を読んだ。その前に『エロティシズム』を読んだ。今は『内的体験』を読んでる。このあと『有罪者』を読もうと思っている。カミュにハマったときほどの激しさではないけど、それでも読んでいて恍惚とするような、それでいて泣き出しそうになるようななんとも言えない感覚になるのは久しぶりだ。前から読みたいと思っていたボードリヤールのピンクの本もやっと読んだ(消費社会の神話と構造)。ボードリヤールはおもいきりバタイユを引き継いでるっぽいけど、バタイユのほうが人間への未練たらしさというか、執着のようなものを感じて好きだなと思った。

旧ジャニーズの関係で性暴力関連の本や映画もそこそこ読んだ。問題自体はなあなあのまま終わったことになりそうでもうあんまり目に入れたくない。私の好き嫌いの問題なので仕方ない。

バタイユ読んだのもあるだろうけど、自分の欲望を正面から見つめて目をそらさないこと、だからといって「自分が自らの欲望を直視できるのだということを称揚して悦に入る」ような状態に陥らないこと。このあたりを今年は延々と考えて煮詰めていったような気がする。一方的なものと双方向的なものとの違いはまだちゃんと考えられてないけど、他者と関係を築く時点でそれは領域を侵すことであり、いつでも暴力性を帯びる可能性がある。だからと言ってその暴力性を悪として排除したいわけでもない。その暴力をむしろ心地よいものと感じることは当たり前にあることだと思うから真正面から否定することはできない。というのが現在地? 

倫理のあいまいさ(倫理的に正しくあることはそもそも不可能、そもそも倫理や道徳を設定するのは?)、人間のままならなさ(欲望へのあらがえなさ、その醜悪さとかわいらしさ)あたりも個人的にこねくりまわした主題だったような。言語に依存しまくって生きてきたし今もそうだけど、改めて言語の不完全さを感じつつ(言語は何かをあらわすときにそれを固定させると同時に常に何かを取りこぼしてしまう)、だけどそのなかでこの瞬間をなんとかして「伝える」にはどうすればいいのかを考えたりもした2023年。

こないだ信じられないぐらい高いコートを買った。お金って使うほど執着がなくなるの不思議だなあと思う。

おわり

はじめてのスズナリでダウ90000「20000」

いろんなところで噂になって気にはなっていたが、なんだかんだで劇場で観たことがなかったダウ90000。キングオブコントの準決勝で初めて見て、これは単独会ったら行かなきゃなと2日目を見てきた。

もともと100分の予定が120分になり、実際初日やってみたら160分になり、調整しての2日目は143分。けっこう長い間やるっぽいから最後の方はまた違う感じになってるんだろうな。

東京来る前にはけっこうな憧れというか親近感?良い場所っぽいな、みたいな想いを抱いていた下北沢、東京来てからというもの数回しか行ってなくてちょっとそわそわ。はじめてのスズナリ。入口のネオンがカッコいい。中は激狭くてトイレも激狭くて大変だった。趣がある。

コントはぜんぶで8本。ざっと感想書こうにも、設定や展開そのものか細かいツッコミのフレーズが特におもしろかった印象。どこかのタイミングで後ろの方にいたお客さんが家にいる感じで「ヤバwww」って言ってたのほっこりした。

仕事着:服覚えられないやつで園田くんを覚えた。蓮見くんしか分からない状態でスズナリに来た私が悪い。
異世界:(信じられないことに思い出せない。配信買うか……)
手術後:忽那さんが光りすぎてる。途中からお笑い賞レースみたくなるとこ好きなのと最後の終わり方がラブ。
幼馴染:20年のファックスの重み。くだらないけどファックスって語感がセックスに似てるからちょいちょいそれが頭に浮かんで笑っちゃうとこもあった。途中で作業服着て出てくる園田くんがあまりにも業者の人すぎてびっくりするぐらい笑った。見たことあるレベルで「いる」。
大親友:みんなずっとかわいい。トランプ(配るとこ)ここでいいよのくだりが細かくて好き。
旅館裏:全然違うんだけどアニー・ベイカーの「フリック」思い出しながら見てた。
役者魂:全員変なのは好き。ただきっと意図的なものだと信じたい部分で、無意識ミソジニーまみれな人だと「爽快」になってそうで若干ひやひやしながら見た。笑っちゃうところもあるっちゃあるけどそういう人を馬鹿にするモードでもないから、あんまり笑えない場面も、な感じ。
寂しさ:恋愛講座。どれくらいアドリブ入ってたんだろう。

同じ日にかが屋の加賀さんも来ていたらしく、私がスズナリのそばでおにぎり食べながら見ていた景色が別角度から加賀さんによって記録されるという珍事が起きていた。

そしてゾフィー解散。悲しいなと思う暇もなく上田さんがいろんな人にコント書くライブが決まってて応募。今年もまだ終わってないけど来年も引き続きちょこちょこコント見に行きたい。

おわり

たったひとりの「死」に向き合う『My Boy Jack』

まえだまえだの弟の方、前田旺志郎が出るてことでチケットを買って観に行ってきた。10月12日の夜公演。

激戦が続く第一次世界大戦。健康な体があるなら戦地に行くべしと声高に理想を語る父ラドヤードは、酷い近視ゆえに軍の規則で入隊出来ない息子を、人脈をつかって軍にねじ込む。母親<キャシー>と姉<エルシー>は、必死に不安を圧し殺しながら日々を暮らす。戦意高揚を謳っていた父親も、日が経つにつれて不安にさいなまれるようになる。ハンデがあるにもかかわらず必死に努力し将校になったジョン(ジャック)は、西部戦線へと出征する。厳格だが優しい父と、無償の愛を注ぐ母との幸せな家庭で育った彼は、銃弾が飛び交う戦場を体験する。ある朝、突撃ラッパが鳴り響く中、彼の中隊に突撃命令が下る。数時間の激闘が終わり兵士たちは次々と傷つきながら塹壕へと引き上げてくるが、そこにジャックの姿はなかった。

※<>の部分は管理人が追加。

「戦争」や「死」に対する態度の取り方が好きな作品だなと思った。肯定も否定もせず、ただ葛藤のなかにいる。

前半はあまり展開がなく、前日夜更かししていたこともあって少しだけ眠かった。それに引き換え後半(第2幕?)はすさまじかった。ジャックが率いた中隊に所属していた兵士マイケル・ポウ(佐川正和)がラドヤードの家を訪れ、当時見たことを話す場面。ポウがトラウマによる発作に苦しみ、時折えずきながら話す「彼が目にした光景」のリアリティに飲み込まれそうだった。

前半の最後では、自らの中隊と共に敵陣に突っ込もうとする戦地でのジャックが描かれた。ポウは中隊のなかでも比較的呑気で、一方で恐怖に敏感な人物として描かれていたように思う。豪雨の中、ジャックによる足の点検(「塹壕足」にならないようにするため、ジャックはしょっちゅう彼らの足を点検していた)のために靴下を脱ぎながら、農村出身のポウは彼が本来この時期にしていたはずの農作業に想いを馳せる。

農村的なものがいくらか牧歌的に描かれすぎてはしないか、という思いもなきにしはあらずだが、戦地でポウが素直に故郷を懐かしむ姿は、戦地から生還した後の、まるで人が変わったような彼の姿をいっそう際立たせる。ひとりではもはや立つことすらままならず、暗闇にいるだけで戦地の幻覚と幻聴を誘発され、タバコを吸ってなんとか気持ちを落ち着ける姿。

戦地で死んだ人は往々にして「名誉ある英雄」的なものに祭り上げられがちだが、ここではその様子がほとんどないことに安心した。母キャリーが、全体で見たときの犠牲者の数がどうこうを全く問題にせず、あくまで私たちにとってたったひとりの存在であるジャックがいなくなってしまったのだ、という深い悲しみを正面から抱きしめて傷つく姿になぜか慰められるような気持ちにもなった。どうしようもなかったことではあるけれど、戦地に赴こうとする彼をけしかけた(父)/身を挺してでも止めなかった(母)、ふたりが自分たちから「罪の意識」を切り離すことなく、それを抱えたままもだえる姿に、私が思う倫理だったり人間の不器用さだったりを見出したからかもしれない。自分たちが納得できる「自分のための物語」に息子を閉じ込めてしまうのではない姿。戦地で息子が感じたであろう痛みを想像しようとするキャリーの姿に、息子を戦地に赴かせた罪の意識に苛まれながらもそれを表現できずにいたラドヤードが床に転がって咆哮をあげるシーンに、思わずぼろぼろ泣いてしまった。

「死」は人の感情を簡単に動かしうる。だからこそ、その強力さに甘んじて、それを効果的な演出として安易に使う(かのように見える)作品が苦手だ。そういう類のものだったら嫌だなと思っていたが、良い意味で裏切られた。露悪的な意図があるならいざ知らず、通常の意味で「死」を扱う場合、ひとりの「死」にとことん向き合い、それを「乗り越えるべき何か」としない作品であれば(なぜならそれは「ともにある」ことはあっても決して「乗り越えられる」ものではないから)、嫌な気持ちにならずに観ることができるのかもしれない。

役者さんで個人的にうなったのは佐川正和さん。調べてみたら夜叉ヶ池にも出ていたらしい。西島さんは最初なんとも思ってなかったけど最後の年老いた男性の振る舞いがすごかった。単に腰を曲げているのではなく、むやみに片方の手がぶらぶらする感じとか。倉科カナさんはドラマで見るより舞台で見る方が好きだなと思った。

おわり

230920&230921 キングオブコント準決勝@目黒パーシモンホール

久しぶりに2日とも見に行ったので記録。去年の会場が大きすぎたらしく今年はこぢんまりした区民ホール。最後列でも見やすい&聞きとりやすくてびっくりした。

一方で相変わらず審査員が全員中年男性で馬鹿馬鹿しい気持ちにもなった。各コント師のネタはおもしろかったけど、もう「キングオブコント」なんてそれらしい名前ではなく「中年男性が選ぶいま一番面白いコント」にでも大会の名前を変えてはいかがでしょう。めっちゃ嫌味な言い方してしまう。自分はまだ/もう中年ではない!という人が審査員にいたら申し訳ない。去年も同じこと言ってた気がする。

中年男性にもいろいろあるのは百も承知だけれども(入社後一発目の配属先で目にしてびっくりした「フロア一面に広がるおじさんのお花畑(※花の種類は様々)」を思い出す)、「笑い」という、個人の経験や社会の捉え方にも密接にかかわるようなものを評価する人たちの「属性」が2023年にしてここまで同質なのも珍しいのでは。私がいる環境がテレビ業界とは違いすぎるから?

ここ数年で社会の空気が大きく変わったとはいえ、人材は急に増えるわけではないので仕方ない部分はあるんだろうと思いつつ、誰かが(ファンとか)それに対して問題提起するわけでもない様子を見ているとこの状況はこの先しばらく変わらないんだろうとも思う。という私も、ガチ勢ほど気合いの入ったお笑いファンでもないのでつい傍観者の立場を取ってしまう。

コントは好きだし、キングオブコント準決勝でおもしろいコントをたくさん見ることができるのもすごくありがたいが、中年男性のみによって構成される審査員たちに権威付けされたコント/コント師をありがたく拝むこの仕組みというか、それにはずっと嫌悪感を抱いている。決勝の審査員がマシになっただけでも大成長なのかもしれないですが。(ちくちく言葉)

コントは面白かった。タイトルは勘。

  1日目   2日目  
1 TCクラクション ワックスがけ ダウ90000 人間関係
2 天才ピアニスト 家具売り場 ファイヤーサンダー ツッコミ芸人
3 えびしゃ ゲーム レインボー コンビニバイト
4 ななまがり 本番に弱い男 ザ・マミィ 10年後
5 都トム 最終面接 クロコップ エメラルドパワー
6 滝音 老夫婦 コットン スリ
7 ジグザグジギー ラジオの公開収録 やさしいズ バイトの面接
8 連合稽古 カラオケ(相撲) ゼンモンキー 墓参り
9 さすらいラビー 女の子の部屋 伝書鳩 反抗期
10 ザ・ギース かが屋 準備の早い先輩
11 シティホテル3号室 酒造メーカー ラブレターズ 引きこもりの息子
12 ジャングルポケット 東京のおかあさん そいつどいつ 戦い
13 ゼンモンキー あやか や団 芝居の稽古
14 サスペンダーズ 無人 シカゴ実業 ギャンブル漬けの旦那
15 蛙亭 復讐 滝音 嘘発見器(寿司屋)
16 カゲヤマ 謝罪 隣人 賢いチンパンジー
17 伝書鳩 警察 さすらいラビー 黄色のバラ募金
18 シカゴ実業 定食屋 ニッポンの社長 手術
19 かたつむり ラーメン屋 蛙亭 大好きな彼氏・寿司
20 男性ブランコ お兄ちゃん 連合稽古 葬式(相撲)
21 サルゴリラ 野球部の監督 サスペンダーズ 花占い
22 そいつどいつ バイトの面接 かたつむり 映画撮影
23 クロコップ 卓球 カゲヤマ 優秀な部下
24 コットン 友だち 都トム 整体
25 ファイヤーサンダー サッカー日本代表 天才ピアニスト キャッチ
26 ザ・マミィ スキャンダル ジグザグジギー 市長の会見
27 やさしいズ アドラー心理学 シティホテル3号室 売れない俳優
28 ラブレターズ 彼女の実家 えびしゃ どっち?
29 隣人 落語を教える TCクラクション 山姥
30 レインボー 女芸人 男性ブランコ まかべさん
31 かが屋 ボイトレ ななまがり 赤ちゃん
32 ダウ90000 バー サルゴリラ マジシャン
33 ニッポンの社長 青春っぽい喧嘩 ザ・ギース 進路相談
34 や団 バックヤード ジャングルポケット 左遷先

1日目のザ・ギースのネタだけどうしても思い出せなくて「?」になっている。いろいろ調べてみたけど記憶が蘇らなかった。

2日通して好きだったのはコットンとラブレターズ。特にここがおもしろい!っていうよりただただずっとおもしろかった。できればあれをいつでも自宅で見れる状態にしたいので決勝で上位3組に勝ち残ってほしい。頼む。

好きだった・印象的だったネタの感想メモ。

1日目

天才ピアニスト:恰幅いいほうの人の声があまりに良い。ずっと聴いてられる。ラジオやってほしい。

滝音:老夫婦のやり取りを見て、最初「認知症…?」と思っていたら全然違うことがたった一言のセリフで示されて大興奮。そのセリフによって提示される状況も予想外でけらけら笑った。けれども最初に頭に浮かんだ「認知症では?」というのは消えないので、笑えたり笑えなかったり、若干バリバラでやってるお笑いの大会見てるときみたいな気分にもなって不思議だった。

さすらいラビー:人間椅子みたいなネタでめちゃくちゃ好きだった。演技なのか、もともとああいうキャラなのか分からないけど、女の子役の人の淡々とした感じがまた怖くて好きだった。ああいうおもしろいけど内臓がぞわっとするネタ最近あんまり見てなかったから?アドレナリン出まくってドキドキした。

蛙亭:フォルムと声がズルい。分かってるのにそれだけで笑っちゃう。

やさしいズアドラー心理学ではないけど、思想?がそれっぽい感じ。

レインボー:ただただ圧巻だった。あの早口嚙まないのも好き。あとたぶん個人的にキュンキュンするけどおもしろいみたいなの好きなんだと思う。俗物だ。

かが屋:ふたりの美声がホールにとどろくだけの時間がよかった。歌はうまければうまいほどおもしろい。平場で大きな声出したいからってボイトレ通ってた加賀さんのポテンシャル?がここで日の目を見てるってのもおかしかった。

ダウ90000:ウワこの状況心当たりがある、という笑いから全然違う笑いになってくのが楽しい。人が多いけどモブ的な人がいないのすごい。単独ライブ申し込んだ。

 

2日目

クロコップ:またゲームっぽいコントね、と思っていたら予想してなかった展開。

や団:灰皿回るのたまたまだと思ったらテクニックで舌を巻いたしめちゃくちゃ笑った。コントの内容でも芝居のクオリティでもなく灰皿回す技術が笑いに関わるコント初めて見た。

シティホテル3号室:導入の部分(事務所からの圧力が…)で時事ネタ!?とそわそわしてしまった自分がおかしかった。売れてない俳優として売れてる、っていう自家撞着の時点でおもしろい。

ジグザグジギーのはお笑いファンが大集合してる準決勝だからこそウケるネタっぽくてあんまりハマらなかった。あと全体的に2日目は若干ミソジニーっぽい?モノ扱いっぽい?ひやっとするネタがちらほらあった気が*1。ネタ全体の構造自体をちゃんとひもとかなきゃ批判ができないんだけど2日間コント見続けたせいでそこまでの体力が残ってない。

 

ひとつだけ駄目だったやつ。会場ではどっかんどっかんウケてたけど、1日目のカゲヤマのネタが個人的には受け付けなかった。「上司が部下の代わりに、別の部屋にいる偉い人に謝罪する」というネタで、申し訳なく思った部下が自分もと引き戸を開けるとそこには全裸の上司がいて、そのタイミングで観客の笑いが起こるというもの。もっと展開はしていくものの、途中で上司がまゆゆの写真集を模してみたりと、一貫して「脱いでいること」「裸であること」に対して笑いが起きる。

謝罪するために裸になること/舞台上で裸になることのばかばかしさ、上司のお尻が見えているという無様な様子、に思わず笑ってしまう、というのは理解できる一方で、これは人によってはハラスメントに見えてしまうのではないかとそわそわしながら見た。

以前からテレビは男性のホモソーシャル的な(≒体育会系的な)悪ノリを再生産しがちで、それこそドッキリGPでは男性を全裸にしたり男性の下着に異物を仕込んだりという昭和っぽい笑いがいまだにまかり通っているけれども、このネタはその延長線上にあるっぽいなあと。

主語が大きいかもしれいないけれど、男性ってどうして自分をも含む男性の身体をあんなにぞんざいに扱うんだろう。裸になること自体で引き起こされる「笑い」はたぶん、公式の場「なのに」裸(ふさわしくない姿)とか、そういう「ずれ」から起きているんだろうけど、男性の場合それが内輪での悪ノリ、パワハラ、性暴力まがいの何か、にもつながっていく気配があって、特に今は笑えなかった。

そもそも芸人にもお笑いファンにはいわゆる「陰キャ」≒「学校などで展開されるホモソーシャルな/体育会系的なノリに乗れなかった人たち」も多かろうに(コットンの西村も話してたみたいに)、こういういかにも陽キャ≒体育会系っぽいノリは受け入れられるのがなんとなく不思議でもある。「陰キャ」だからこそ、そういうコミュニケーションの方法を取るんだろうか。陰キャ陽キャ、体育会系的な悪ノリ、ホモソーシャル、あたりはもうちょっと丁寧にほどいてみないといけないのかもしれない。

キングオブコントの批判しつつもコントは好きなので決勝も見ます。ダウ90000の単独当たりますように。

おわり

 

*1:やさしいズ(即戦力の男性よりも「未経験でかわいい」女子大生を採用したい)、サスペンダーズ(花占いしている女性が「ホスト狂い」だとわかった瞬間の手のひら返し)、天才ピアニスト(「若く見えない」けどガールズバーのキャッチをしている:これはもうちょっとあった気がする……けど思い出せない……)、山姥(山姥がブラつけてることを「評価」するようなまなざし?)、あたり。